壺屋 320年の歴史を持つ琉球時代からの焼き物の町

沖縄県
那覇市
壺屋1




交通

市内バス壺屋下車






壺屋




2006.12.22
那覇市内、国際通りの牧志市場とひめゆり通りの間の界隈は、壺屋というやちむん(焼き物)の里である。1682年(天和2年)、琉球王朝の命令で、知花[ちばな]、宝口[たからぐち]、湧田[わくた]の3カ所に分かれていた陶窯の陶工たちが壺屋に集められたのが始まりといわれ、沖縄を代表する陶器、壺屋焼の発祥の地として知られる。那覇市内は戦災に遭っているが、地形が複雑なため延焼を免れたのか、いたるところに古い民家が残っている。壺屋もそういったエリアの一つと思われる。ひめゆり通りから50mほど入ったところに国重要文化財に指定された新垣家住宅(あらかき)がある。琉球王府時代の陶工壺屋統合(320年前)のころ造られた上焼きの御用窯(東ヌ窯)で、18世紀後半の母屋や作業所など伝統的な壺屋陶工の住宅形式を唯一残している。壺屋通りは、350mほどの石畳が続き陶芸工房やギャラリー、焼き物の直売店が並び、一風変わった風情を醸し出している。
那覇市内は集落がそのまま都市化した都市であるため、表通りから一端路地を入ると複雑である。壺屋界隈もその典型で、縮尺の大きな地図を持って歩かないと、方向感覚が優れた人でも迷ってしまう。
東(アガリ)ヌカー
ひめゆり通りから壺屋通りを入ったすぐにある古い共同井戸。300年ほど前に掘られたといわれ、水道が普及するまで飲料水として使われていた。
壺屋通りの町並み
石畳で整備されているが、通りに面する古い民家は少ない。
新垣(あらかき)家住宅 国重要文化財
琉球王府時代の陶工壺屋統合(320年前)のころ造られた上焼きの御用窯(東ヌ窯)で、18世紀後半の母屋や作業所など伝統的な壺屋陶工の住宅形式を唯一残している
新垣(あらかき)家住宅
新垣(あらかき)家住宅
壺屋通りの町並み

壺屋通りから牧志3丁目方向へ分岐する通りの町並み。
壺屋界隈の住宅地
南の窯(フェーヌカマ)(上)
320年の歴史を持つ壺屋に現存する唯一の登り窯。現在の壺屋は住宅地に囲まれ、煤煙の問題からガス窯み切り替えられている。そのとき、薪窯にこだわった職人たちは壺屋を離れ読谷村に移住した。それが読谷焼の始まりといわれる。

壺屋界隈の町並み(左)
壺屋界隈の町並み(左)
壺屋界隈の町並み(左)
参考資料 リンク
那覇市

参考文献
『日本の町並みU 中国四国九州・沖縄』 西村幸夫監修 平凡社