渡嘉敷島 唐船や薩摩御用船の船乗りを輩出してきた島

沖縄県
渡嘉敷村
渡嘉敷
阿波連





交通
那覇泊港よりフェリー




渡嘉敷

阿波連



2019.01.12

那覇の西海上30km、慶良間諸島の東端にある島。島内からは先史時代の遺跡が発見されている。古くから聖地・御嶽の多い島として知られていた。17世紀半ばには中国と沖縄本島を行き来する船の監視のために、座間味島・渡名喜島・久米島などと並び烽火台が設置された。また、慶良間の他の島々と同じく優秀な船乗りを輩出してきた島でもある。第二次世界大戦末期には激しい空襲と艦砲射撃を受け、米軍上陸後、約半数の住民が集団自決した。現在、島にはビロウやモクマオウが生い茂り、白い砂浜が広がるなど南国の自然が美しい。海洋専門家の調査では水深50-60mに及ぶ海の透明度は世界屈指と称賛され、国内有数のダイビングポイントともなっている。春先にはザトウクジラが島の周囲を回遊し、ホエールウォッチングで賑わいを見せる。周辺海域は沖縄県でも有数の好漁場で、小規模ながら一本釣り・はえ縄漁などが営まれている。(「シマダス」参照)
渡嘉敷島には、三つの集落がある。フェリーが発着する島の中心部である渡嘉敷地区と南にある阿波連地区が集落としての見所。
阿波連集落の町並み
阿波連ビーチは世界でも屈指の透明度を誇る。当日は曇っていてちょっと残念であった。(上)
渡嘉敷島は那覇から日帰りができ、本島からの観光客も多い。阿波連ビーチのあるこの集落にはレストランや民宿が多い。(左上、左下)
 
阿波連集落の町並み
阿波連小学校の塀。
阿波連集落の町並み
集落は砂丘上の平坦な場所に形成されている。海岸線から離れたエリアに古い石垣が多く残っていた。(上)
赤瓦の民家。壁はコンクリートブロック。(左上、左下)
戦災に逢っているから、集落内の建物は古いものは見られなかった。
 
阿波連集落の町並み
阿波連集落の町並み
建物は新しいが、塀とヒンプンは古そう。
渡嘉敷島から西方の座間味島・阿嘉島・慶良間島を臨む
渡嘉敷集落の町並み
ドローによる空撮。この写真だとあまり沖縄の集落ぽくない。
渡嘉敷集落の町並み
渡名喜島でみられる道より低い屋敷地の家があった。
渡嘉敷集落の町並み
渡嘉敷集落のメインストリート。画像の塀は貝殻混じりの砂利を固めたブロック塀。
渡嘉敷集落の町並み
お庭に山羊がいた。
渡嘉敷集落の町並み
この家は古そう。
渡嘉敷集落の町並み
切石の石塀が現れた。集落の中心だったエリアであろう。
渡嘉敷集落の町並み
立派な石塀。根元家の石垣といい村指定有形文化財となっている。
渡嘉敷集落の町並み
根元家は、琉球王朝時代にこの島の男たちが水主(唐や薩摩へ行く船の乗組員)として唐船(進貢船・接船)や薩摩へ行く御用船で活躍した頃に繁栄したと伝えられている。
渡嘉敷集落の町並み
根元家の正面の道は渡嘉敷神社への参道となっている。
渡嘉敷集落の町並み
参考資料 リンク
渡嘉敷村

参考文献