南大東 近代開発の絶海の島 製糖事業で栄えた島里

沖縄県
南大東村
在所
ほか





交通
琉球エアコミューター南大東空港





南大東島





2017.03.20



沖縄本島の東方372kmにある島。北に8kmへだてて北大東島がある。隆起珊瑚の島で、北大東島とともに世界でも十数島しか例のない地形の島。周囲は高さ10〜20mの絶壁に取り囲まれ、中央部は盆地になっており、池沼が点在する。古来から大東諸島は「うふあがり島」(「大きい東の島」の意)として知られていた。17世紀半ばには欧州の地図にも登場するが、位置や島数が不正確だった。19世紀には英国海軍水路誌や欧州の地図に北・南大東島が「ボロジノ諸島」として記載されている。「ボロジノ」の名は、当時北・南大東島を発見したロシアの海軍佐官ボナフディンの乗る艦名「ボロジノ」にちなむといわれている。定住は1899年(明治33年)、八丈島出身の玉置半右衛門が有志22人とともに開拓に着手したことに始まる。以来、サトウキビ単作栽培の島として発展し、昭和58年までサトウキビ運搬のための沖縄県唯一の鉄道もあった。現在も島の面積の約60%の耕地面積のほとんどがサトウキビ畑になっており、関東・八丈島の文化と沖縄の文化とが入り混じり、独特の文化環境を育んでいる。(「シマダス」参照)
旧琉球国の中になかったのもあり、個々の建物の様式は沖縄っぽいようでそうでもない。赤瓦はほとんどなく、ハナブロックの鉄筋コンクリート造民家も数が少ない。特徴は、製糖事業施設の建物を中心に、石灰岩を積んだ外壁が見られること。これは、北大東にも共通している。中心集落の在所地区は、工場門前町の性格が強く、どこが工場の正門なのかわからないくらい街と工場が一体化しており、一本の通りを中心に夜の飲食店や娯楽施設が並んでいる。農村部の集落は散居形態で、写真だけ見せられたら北海道と答えてしまうほど近代農業地の景観である。
大東製糖工場の企業城下町 在所
南大東島在所の町並み

南大東島在所の町並み
南大東島在所の町並み
南大東島在所の町並み
南大東島在所の町並み
夜景
南大東島在所の町並み
旧東洋製糖の社員住宅 
末吉家住宅主屋
昭和前/1926-1945
石造平屋建、鉄板葺、建築面積107㎡
燐鉱の積出港として利用された西港に通じる,島北西部の幹線道路に面して建つ。桁行13m,梁間8.4m規模,寄棟造,平入の石造平屋建。角部をコンクリートで固め,壁面を石灰岩の布積とし,内部造作にはビロウを用いる。島で最初期の住宅地開発の遺構。(「文化遺産オンライン」より)
弐六荘
昭和前/1940
木造平屋建、鉄板葺、建築面積243㎡
燐鉱採掘事業において宿泊や娯楽等に使われた。北面して建ち、東に切妻造妻入、西に入母屋造妻入を並行に設け、その間を繋ぐ工字型平面を基本に、突出が多く複雑な屋根構成になる。正面はガラス戸をたて開放的であり、屋根勾配が緩く、穏やかな佇まいをみせる。(「文化遺産オンライン」より)
旧東洋製糖の社員住宅
石積み外壁が部分的に使用されている特徴がある

島の開発当初から収穫したサトウキビの運搬用に敷設されたシュガートレイン

線路の跡が数ヵ所残っている(上)

旧ボイラー小屋(左上上)
大正/1924頃
石造、建築面積115㎡
明治33年第1回開拓者が上陸地点に選んで以降,南大東島の主要港として整備されてきた西港を見渡す場所に建つ。台風時に船舶を陸地に引き揚げておくための施設の原動力室で,島の珊瑚石灰岩を乱積にして壁体を築造。島開拓の歴史を物語る遺構のひとつ。(「文化遺産オンライン」より参考)

島外周の花崗岩を切り開いて造った漁港(左下)
サトウキビ栽培の農村は散居式

バリバリ岩(上)と星野洞(左下)
参考資料 リンク
南大東村

参考文献