久米儀間 唐船や薩摩御用船の船乗りを輩出してきた島

沖縄県
久米島町
儀間





交通





儀間





2019.01.14

那覇市の西約100kmにある島。森林が豊かで水に恵まれており、昔から溜め池や用水路が整備され、水稲栽培が盛んな頃から「米の島」と呼ばれていた。また、「随書」や「続日本後紀」などの文献にも記され、琉球王朝時代から中国貿易の中継地としての役割を果たしてきた要衝の島だった。近世には遠見番所・烽火台が置かれ、19世紀半ばには十数回にわたり外国船が寄港している。また、沖縄で最も美しい島ともいわれ、昭和58年には県立自然公園に指定されている。現在では、久米島空港と那覇・羽田空港が直行便で結ばれ、歴史・文化・自然の調和したリゾート地として注目されている。現在の主産業は農業で、サトウキビが栽培されている。漁業は明治37年の大噴火で移住してきた硫黄鳥島の人々によって始められ、鳥島漁港を中心に、沿岸漁業やクルマエビの養殖が営まれている。(「シマダス」参照)
儀間は久米島の西南部に位置する。「おもろそうし」には「きま」とある。明治末期から大正期にかけて生産量の増加した砂糖は、儀間の砂糖委託商によって那覇に搬出された。島でのもう一つの換金産物である久米島紬は、大正5年から久米島協同組合で品質検査を受けて、儀間に建ち並ぶ商店で販売され、日用雑貨・衣料品などとして利用された。第一次世界大戦による狂乱景気の頃、砂糖委託商を兼ねた10数軒の商店は繁栄の頂点に達した。これらの商人は、すべて那覇か鹿児島の寄留商人であったため、昭和10年代になって戦時体制に入ると商人たちは引き揚げた。第二次世界大戦後、島の商業地は旧具志川村鳥島に移ったが、昭和35年久米島製糖、同51年久米島農協など、全島にかかわる機関が儀間に置かれた。
儀間集落の町並み
久米島の戦前の中心集落
儀間集落の町並み
沖縄らしい碁盤目状の町割りであるが、道は微妙に曲がっている。
 
儀間集落の町並み
木造の民家が多く残る。赤瓦の民家。
阿波連集儀間集落の町並み
セメント瓦の民家も美しい。
儀間集落の町並み
儀間集落の町並み
儀間集落の町並み
儀間集落の町並み
儀間集落の町並み
儀間集落の町並み
分棟の家か
儀間集落の町並み
ハナブロック・コンクリートブロックの民家。
参考資料 リンク
久米島町

参考文献