布賀台
中村台
吉備高原カルスト 成羽川の谷を隔てた2つの台地

岡山県
高梁市
備中町
布賀
木之村
長地




交通

JR伯備線備中高梁駅よりバス利用成羽よりタクシー






布賀



木之村



長地




2006.03.19
カルスト地形というのは石灰岩の台地に見られる得意な地形のことで、そこでは石灰岩は雨水や地下水によって溶かされて、地上ではカレンフェルトやドリーネ等の独特な地形を生じ、地下には鍾乳洞が発達している。わが国では秋吉台(山口県)や平尾台(福岡県)などが有名であるが、岡山県の吉備高原にも美しいカルストの地域がある。井倉洞や満奇洞は観光地化されているものの、地上の台地はあまり知られていない。その理由は秋吉台や平尾台がその壮大で得意な自然景観を見られるのに対して、吉備高原の場合はカルスト地形の上に森林があり集落が立地して耕地が広がっているというところにある。つまり、自然と人間の生活が織りなす独特な集落景観を見ることが出来る地域である。
吉備高原は中国山地の南側、岡山県から広島県東部にかけての範囲で、標高は200m〜600mの一段低い山地をいう。小起伏の隆起準平原状侵食面で各所に残丘をのせ山間盆地が多い。つまり、周囲を絶壁の谷で囲まれた台地状の高原面と絶壁下の盆地という2つの平地しかない地形で、集落は高原面と山間盆地に発達している。たとえば、ベンガラの町並みで有名な吹屋は高原面の集落、高梁や成羽は山間盆地に発達した町である。吉備高原の石灰岩台地は、有名な井倉洞を中心とする阿哲台(新見・阿哲地域)、その東に谷を隔てた北房町にある上房台(上房地域)、成羽川流域の中村台・布賀台・大賀台(成羽・川上地域)、芳井町上鴫の高原台(上鴫地域)などからなる。

成羽川は高梁川の支流でカルスト台地を深く刻んだ谷を形成している。成羽川の深い谷で隔てられた南側の布賀台大原と北側の中村台木之村は1kmほどしか離れていない。どちらから見ても一軒一軒が見えるほど近いのだが、移動するためには細く険しい道を約400m下りてまた400m上らなければならない。秋の早朝には谷が雲海となり、標高600mそこそこの山村は高所の山岳集落のようになる。これらは天界の村特有の風景である。
布賀台は大きく大原、東、中郷、郷、北迫などの集落からなる。カルスト台地ならではの斜面形状に従った曲線的な石垣が印象的である。郷地区には比較的大きな屋敷や茅葺屋根の民家が見られ、景観的にまとまりがある集落といえる。布賀は1853年までは陣屋町だったが、成羽川の舟運開通で谷底の黒鳥に移された。備中高原では古い集落や街道は高原上にあったのである。
一方、中村台は台地の際にある木之村集落(かつては鬼之村と書いた)から布賀台が間近に眺められる。成羽川の谷にそびえ建つ2本の岩が「夫婦岩」と呼ばれ名勝地にもなっている。中村台の長地からも布賀台が眺められ、集落内にはきれいな線形のドリーネが見られた。
布賀台を空中から見下ろす。右上が成羽川の谷で対岸が中村台(画像には無い)。見事な台地であることが分かるであろう。(上)

中郷地区。カルスト地形ならではのすり鉢状の斜面。段々畑や屋敷を築く石垣が曲線的で面白い。(左、下)
郷、中郷地区を見下ろす。(上)

郷地区の大きな屋敷。(左)
郷地区の大きな屋敷。(左、下)
郷地区の集落。吉備高原の民家は2棟建てが多い。

郷地区の一番高いところに残っていた茅葺民家。やっとのことで近づいたら無住の廃屋であった。(左、上)
大原集落。成羽川の谷の向こうに中村台の木之村、長地集落が見える。(左)
中村台木之村より布賀台大原を望む。1km足らずの距離で家の窓まで見える。だが、間には深い成羽川の谷で隔てられている。「天界の村」ならではの風景だ。(左)

中村台長地のドリーネと民家(左)

中村台長地のペンション「迦稜の森」(上)
参考資料 リンク
高梁市

参考文献