臼杵 古くは南蛮貿易港 迷路のような巨大な町並み

大分県
臼杵市
本町
浜町
横町
田町
仁王座
畳屋町




交通

JR日豊本線臼杵駅下車

国道217号線




本町、浜町、横町、田町、仁王座、畳屋町




2003.12.30
豊後水道に面する良港をもつ臼杵は、古来から会場を通じて中央や大陸とのつながりがあった。戦国時代、大友宗麟により名実ともに東九州の政治経済の中心地となり、特に南蛮貿易港として、ポルトガル、イスパニア、明などとの交易を結び、当時港に出入する外国船、城下では往来する外国人、という境や博多に匹敵する国際都市であった。近世になって、宗麟によってつくられた町人地は海岸部に、武家地は基本的に山手に配置するという城下町が完成する。現在でも、当時の城下町の区画はそのままに残っており、中級武士の屋敷や寺院、商家が建ち並び、閑静な佇まいを見せている。
町人町は統廃合や埋め立てを実施して「八町」となった。明治以降は周辺地域の商人が集まり「東九州の浪花」と称されるほど活況を呈したという。臼杵川に沿った町割となっている浜町、横町は酒屋や料亭が多い町並み、本町はかつての商業中心でありアーケード街であったが、近年アーケードを撤去し町並みが復活した。臼杵川は中州を形成しており、フンドーキン醤油と大分味噌のユニークな形をした工場が建っている。住吉橋の対岸にはフンドーキン醤油の洋館がある。
臼杵城下の入口にあたる平清水から二王座にかけては要所要所に寺院が配置された。平清水には街道沿いに古い町並みが残っている。平清水から山手の方に入っていくと二王座歴史の道。地形に従って坂とうねりのある通りで、寺院や武家屋敷の間を歩いていく。臼杵は港から発達した城下町の面影をどこでも感じられる巨大迷路のような歴史都市である。
臼杵川を町から5KMほど上がると、有名な石仏群(国宝)がある。平安後期から鎌倉時代にかけて彫られ、規模、数量、質の高さにおいては国内随一である。
浜町の白壁の商家
通りに向かい合うように建つ小手川酒造と小手川商店(フンドーキン醤油)。軒が深く、2階壁から袖壁、軒裏にかけて漆喰が真っ白に塗りこめられている。1階開口部は茶色の開口部、脇の蔵にはグレーのなまこ壁が美しい。
隣接する野上弥生子文学記念館は、小手川酒造の二代目の長女として生まれた野上弥生子の記念館で、彼女は99歳まで現役作家として活躍した。
浜町の町並み
浜町のあたりはバーや料亭が並ぶ飲食店街
横町の町並み
浜町通りと交差し本町(八町大路)に向かう町。本町を越えて二王座までいたる通り。
臼杵川中州の洋館
臼杵川の中州は醤油工場。住吉橋を渡った工場入口にフンドーキン醤油の洋館社屋がある。
臼杵川中州の工場
臼杵川中洲のフンドーキン醤油の工場。名前もさることながら工場建物もユニークである。創業文久元年の老舗。
平清水の町並み
車で臼杵の町に入ってくると、まずこの町並みと龍原寺三重塔が出迎えてくれる。
二王座の町並み
二王座歴史の道を平清水から甚吉坂を上る。石垣の中に「金毘羅井戸」という井戸が掘り込まれている。
二王座の町並み
二王座の町並み
旧片切家の大階段上から二王座・本町方向を見下ろす。
二王座の町並み
香林寺脇の石垣の武家屋敷町。
本町の町並み
最近までアーケード街だったという八町大路。古いアーケード街はたいていその町のメインの商店街の場合が多く古い町並みが残っていた場所。アーケードがあったせいで逆に建て変えられず残っていることが多いことが、他の町の例を見ても言えそうである。
石仏群(国宝)
平安時代後期から鎌倉時代にかけて彫られた石仏群。
参考資料 リンク
臼杵市

参考文献
『図説 日本の町並み12 南九州・沖縄編』 太田博太郎他 第一法規
『歴史の町並み 中国・四国・九州・沖縄編』 保存修景計画研究会 NHKブックス
『歴史遺産 日本の町並み108選を歩く』 吉田桂二 講談社
『日本の町並みU 中国四国九州・沖縄』 西村幸夫監修 平凡社