竹田 阿蘇外輪山の麓 崖に囲まれた盆地の城下町

大分県
竹田市
竹田



交通

JR豊肥本線豊後竹田駅下車

国道57号線




竹田




2003.12.30
阿蘇の外輪山の裾野にあたる凝灰岩台地に、大野・稲葉川の両河川が深い谷を刻んだ。竹田の町は、この両河川の切り立った崖に囲まれた盆地にある。この地形から、竹田の町に出入するにはトンネル通じて行われる。その数は77ヶ所といわれ、「れんこん町」の異名を持つ。
この得意な地形に目をつけて城下町を開いたのは秀吉に命ぜられた中川秀成で、文禄3年(1594)着手した。町人町は盆地中央の平坦部に配置、武家屋敷はそれを取り囲むように並べて、両地域の境には番所や木戸門が設けられた。
町人町の間口制限は無かったようだが、岡城の大手に通じる上町通りに面する町家はファサードに規制があり、軒高や柱寸法まで決められていた。町人地の町並みは、妻入入母屋の塗り籠め造り、土蔵造りなどの町家が見られる。
殿町は盆地の南東、市街地を取り囲む山の麓にある武家屋敷町。石垣や土塀に長屋門や冠木門をつけ、中に前栽や土蔵、奥まって母屋を配置し、背後に崖状の山でおさえた集落景観である。また、背後の丘の上には江戸時代後期に活躍した画家田能村竹田の旧居竹田荘や崖面に隠れるようにつくられたキリシタン礼拝堂と呼ばれる洞窟がある。
殿町
稲葉川から引き込んだ水路がめぐらされている。道路、石垣、土塀、門、植栽、見え隠れする母屋の屋根、背後の崖の緑、というのが殿町の集落景観。


殿町
竹田の代表的な場所(左)

戦国時代末期の豊後守護大名はキリシタンで有名な大友宗麟。その娘婿も熱心なキリシタンで岡城の城主だった。崖に掘り込まれた礼拝堂は隠れキリシタンのものと伝えられているが確証はない(上)

本町の町並み
滝廉太郎記念館
滝廉太郎は東京で生まれたが父親の仕事の関係により、この竹田の武家屋敷で少年期を過ごした(明治20年代)思い出深い土地。「荒城の月」は岡城を思って作ったと言われている.

塩屋小路の町並み(左)
漆喰塗り籠め造りの町家が見られる。

トンネル(上)
竹田は崖で囲まれた盆地のため、町の周囲にたくさんのトンネルがある。

白壁の町家
岡城址
参考資料 リンク
竹田市

参考文献
『図説 日本の町並み12 南九州・沖縄編』 太田博太郎他 第一法規
『歴史の町並み 中国・四国・九州・沖縄編』 保存修景計画研究会 NHKブックス
『歴史遺産 日本の町並み108選を歩く』 吉田桂二 講談社
『日本の町並みU 中国四国九州・沖縄』 西村幸夫監修 平凡社