浜脇 別府八湯の一つ 本廓の置かれた温泉町

大分県
別府市
浜脇1,2





交通
JR日豊本線東別府駅下車徒歩





別府浜脇




2009.12.23
別府の市街地は、鐘状火山の鶴見岳の裾野が海へ向かって落ちる石垣原扇状地に形成され、そこに湧きだした温泉=別府八湯(鶴見八湯)を中心に栄えた温泉観光都市である。聖武天皇(728〜749)の頃からあったと伝えられ、明治22年(1889年)上総掘りにより湧出してから発展した。別府八湯とは、別府、浜脇、観海寺、堀田、津川、鉄輪、柴石、明礬(みょうばん)等で、単に別府温泉という場合は別府・浜脇・鉄輪の3温泉を指す。泉源数は3,500、湧出量は7万kl/日。
遊里は、昭和初期で楠町に料亭100軒、芸妓180人の花柳界があり妓楼も十数軒混在していたそうだ。本廓は東別府駅近くの浜脇温泉に置かれ、貸座敷44軒、娼妓300余名がいたという。

日豊本線東別府駅は、明治44年に浜脇停車場として開業した時の木造駅舎が残っている。この辺りは高崎山が海にせまり別府市街の東端にあたる。駅から別府市中心へ向かう通りに浜脇温泉の旅館街が形成されていた。かつての本廓の賑わいは全くなく、中央の温泉ランド以外に営業している旅館はほとんどない。戦後赤へと移行し女性街が存続したため戦前の建物はよく残っていて、町並みとして立派なものである。豊後水道の民家は台風によって瓦が飛ばないように漆喰で要所を固めているが、その形態が浜脇にも見られる。2丁目界隈には木造3階建てや1階玄関周りを戦後カフェー調に改装した建物も見られ、どこの路地を入っても妓楼らしき建築が現れてかつての隆盛ぶりを伺うことができる。浜脇から浅見川を渡って楠町へ向かう途中の松原町には大正時代に映画館もあった。
明治44年の木造駅舎が残る東別府駅(旧浜脇停車場)

浜脇1丁目の町並み
2階にバルコニーを備えた建物。どこまでが妓楼でどこまでが住宅か今では判別不可能だが、古い町並みとして鑑賞するには絵になる路地はたくさんある。

浜脇1丁目の町並み
2階にバルコニーを備えた長屋のような建物。玄関の床にタイルが貼られていたので戦後もカフェーとして営業していたのであろう。
浜脇1丁目の町並み
豊後水道は台風の通り道になることが多く、大分、山口、愛媛3軒の民家には屋根を漆喰で押さえた形態が見られる。浜脇の建物にも見られた。
浜脇1丁目の町並み
何気ない路地に面しても妓楼あるいは旅館らしき建物が並んでいる。

浜脇・入江町の遊郭風景(大正時代)(左)

松原町松原公園東側にあった映画館松栄館(大正時代)(上)

浜脇2丁目の町並み(左)

朝見川沿いの大旅館「米道」(大正時代)(上)

浜脇2丁目の町並み(左)
1階をカフェー調にした建物

昭和3年築の浜脇高等温泉(上)
浜脇2丁目の町並み
浜脇2丁目の町並み
立派な洋館があった
浜脇2丁目の町並み
参考資料 リンク
別府市

参考文献
「赤線跡を歩く2」木村聡 自由国民社