別府北浜 タワーを背景とした別府駅北部の遊里・旅館街

大分県
別府市
北浜





交通
JR日豊本線東別府駅下車




別府北浜





2009.12.23
2019.03.02
別府の市街地は、鐘状火山の鶴見岳の裾野が海へ向かって落ちる石垣原扇状地に形成され、そこに湧きだした温泉=別府八湯(鶴見八湯)を中心に栄えた温泉観光都市である。聖武天皇(728〜749)の頃からあったと伝えられ、明治22年(1889年)上総掘りにより湧出してから発展した。別府八湯とは、別府、浜脇、観海寺、堀田、津川、鉄輪、柴石、明礬(みょうばん)等で、単に別府温泉という場合は別府・浜脇・鉄輪の3温泉を指す。泉源数は3,500、湧出量は7万kl/日。
遊里は、昭和初期で楠町に料亭100軒、芸妓180人の花柳界があり妓楼も十数軒混在していたそうだ。本廓は東別府駅近くの浜脇温泉に置かれ、貸座敷44軒、娼妓300余名がいたという。
別府駅の南東、元町・楠町一帯は、現在飲食店やスナックの密集する別府温泉の一大歓楽街となっている。建て横に続く路地にネオン看板という街は昼間歩いていても楽しいが、その真っただ中に一際大きく鎮座している寺院のような木造建築が現れる。竹瓦温泉は別府温泉にある市営の共同浴場で、現在の建物は昭和13年(1938年)に建てられたもの(国登録有形文化財)。この地がまだ漁師町だった明治時代に最初の建物が建てられ、大正、昭和と建て替えられて現在に至る。正面玄関前から流川通り(県道52号線)までの間には、わが国最古のアーケードといわれる竹瓦小路アーケードがある。
元町の北から埋め立てられた海岸線にかけての北浜は旅館街。その真っただ中にあり国道10号線脇にそそり立っているのが別府タワーである。別府タワーは、東京タワーより古く昭和32年(1957年)に建てられた高さ90mの観光目的のタワー。設計は東京タワーと同じ内藤多仲氏により国登録有形文化財にもなっている。
駅前高等温泉
大正洋館風の建物(古くはない)
北浜の町並み
楠本通りへと通じる通り
北浜の町並み
北浜の春日通り(東西方向)から別府タワーを臨む。
北浜の町並み
仲間通りの「北部旅館街」。ここはかつて「行合町」と呼ばれた遊郭だった。
北浜の町並み
仲間通りの「北部旅館街」。昭和33年の売春防止法が施行された後、旅館街に転業して現在まで続いている。一泊2000円から3000円の超格安旅館ばかりであるが、ドヤではない。
北浜の町並み
仲間通りの「北部旅館街」。モザイクタイルの円柱とタタキ仕上げ。戦後レッドラインのカフェーであろうか。
北浜の町並み
仲間通りを海に向かって歩いていくと大きな屋敷が現れる。「山田別荘」という昭和初期の建物。
北浜の町並み
「山田別荘」という昭和初期の建物の向かいの家。

北浜の町並み
道にゲートが設えられている「割烹料亭ふぐ松」(上)
東京タワーより古い昭和32年に竣工した「別府タワー」(左)

別府タワーの古写真

北浜の旅館街(国道10号線の東側)の町並み
北浜の旅館街(国道10号線の東側)の町並み
北浜の旅館街(国道10号線の東側)の町並み
参考資料 リンク
別府市

参考文献
「赤線跡を歩く2」木村聡 自由国民社