長崎
立山町
都市の背景となる高低差150mの天界の住宅地

長崎県
長崎市
浜平町
立山町





交通
長崎駅よりバス






浜平町


立山町





2017.05.06



長崎は、ポルトガルとの南蛮貿易港として元亀2年(1571年)に創られた港町である。江戸徳川幕府の鎖国時代でも唯一の貿易港として、オランダと中国との交易だけが許され、全国で唯一長崎港だけが開かれていた。鎖国時代は出島に外国人居留地を造り、西欧文化の玄関口となっていた。長崎は他の都市が明治維新後西欧文化が入ってきたのとは違って、ずっと昔から途切れることなく海外に接していた町である。明治期になるとそれまでの独占的な立場は失ったが、造船所が出来て近代工業都市として発展した。
長崎の最初の市街地は、金毘羅山から南に延びた尾根につながる台地の上が発祥であり、平らな土地が乏しい長崎では、時代地共に台地下の湿地帯が埋め立てられ街が拡大すると同時に斜面上にも駆け上がっていった。そして、戦後の都市の拡大により、背後の山の斜面をどんどん住宅地が上っていった。中心繁華街の背後にあたる立山町や浜平町は特にすさまじく、高低差150mに及んでいる。しかも、広範囲においてクルマが入ることができない。横浜や神戸など港町にはこのような都市が多いが、長崎は特に顕著である。

浜平町の町並み
眼下は浦上側の谷で、長崎駅から浦上にかけて
浜平町の町並み
西坂町の町並み
立山町の町並み
立山町の町並み

立山町の町並み

斜面移送装置

参考資料 リンク
長崎市

参考文献