長崎
中島川
アーチ石橋群と石橋で結ばれた両側の町人町

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交通

JR長崎駅より市電利用





中島川





1979.03
2005.07.26
長崎の市内を流れる中島川には、江戸時代に造られたアーチの石橋が見られる。有名な眼鏡橋が最も古く寛永11年(1634年)に建造されたと記録にある。眼鏡橋は2連のアーチであるが、以降は1スパンのアーチ石橋が建造され、1600年代に14橋全てが完成した。しかし、石橋群はしばしば洪水で流されており、その都度再建されている。当初の建造者は中国商人で、後年日本人の名前が現れる。石橋の石材は風柱石とよばれる安山岩で市内の石畳が砂岩であるのと異なる。長崎に入った石橋の技術は九州全域に広がり、鹿児島県や熊本県に見られる石橋へと技術伝播したと言われている。
しかし、石橋群は昭和57年(1982年)の大洪水で流されてしまった。その後、眼鏡橋を初めとしたいくつかは再建されたものの、他の橋はコンクリート製で高く持ち上げられてしまった。また、バイパスとなる水道を作ったため、護岸はコンクリートの上に石垣が復元されている。復元改修工事は20年経った現在でも続いている。
石橋は30m〜50mと非常に短い間隔で、川を挟んだ町割りの街路一つ一つに対応して橋が架かっている。その街路は真っ直ぐ寺町へと延びており、橋の上から東の風頭山方向を見ると必ず寺町の寺院がアイストップにおさまるという構図になっている。そして中島川と寺町の間には商店街になっており、石橋から両側に延びる通りには所々古い町家が見られる。長崎は原爆による戦災を受けているが、起伏が激しいため丘に隠れた谷間に爆風を免れた地区がある。このあたりもその一つのエリアと思われる。
中島川と眼鏡橋
ページトップの写真は1979年で、まだ洪水で流される前。橋脚の上に生えている雑草が印象的だった。

洪水の後再建された直後の眼鏡橋(左)

洪水後バイパス水路を設けた(左下)

再建後の袋橋(下)

眼鏡橋上より西方向を見る。
石橋群から東の風頭山方向を見ると寺町の寺院が必ず見える。(左、下)

風頭山下の寺町(1983年)

中島川に沿った一皮東側のアルコア中通り商店街(左上、左)

中島川東側、麹屋町の町並み(上、左上、左)
中島川の欄干
古町の町並み
古町の町並み
古町の町並み
正面の階段は流された石橋の後に作られた、持ち上げられた石橋風コンクリート橋
古町の町並み
江崎鼈甲美術品製作所
参考資料 リンク
長崎市

参考文献
『図説 日本の町並み11 北九州編』 太田博太郎他 第一法規