長崎
飽の浦
三菱重工長崎造船所とともにある急斜面住宅地

長崎県
長崎市
飽の浦町
入船町
岩瀬道町
東立神町
西立神町





交通
長崎駅よりバス






飽の浦町


入船町


立神





2017.05.05



長崎は、ポルトガルとの南蛮貿易港として元亀2年(1571年)に創られた港町である。江戸徳川幕府の鎖国時代でも唯一の貿易港として、オランダと中国との交易だけが許され、全国で唯一長崎港だけが開かれていた。鎖国時代は出島に外国人居留地を造り、西欧文化の玄関口となっていた。長崎は他の都市が明治維新後西欧文化が入ってきたのとは違って、ずっと昔から途切れることなく海外に接していた町である。
明治期になるとそれまでの独占的な立場は失ったが造船所とともに発展した。長崎港の自然の入江地形を巧みに利用し、長崎湾官営から三菱へ、財閥解体後三菱重工へと受け継がれた長崎造船所。その周りには、工場の外にも三菱重工関係の施設が建てられ、「三菱通り」という通り名など、企業城下町となっている。そして、背後の稲佐山へ上る斜面には住宅地が駆け上がっている。

長崎造船所正門(左上)と三菱通りのサイン(上)

正門前には研究所や動労組合の建物が建つ(左下)

飽の浦の戎神社は造船所ができる前からの漁村の神社
三菱通りに造船所の煉瓦塀がつづく
造船所の施設で唯一公開されている造船資料館
入船町の町並み
三菱重工記念病院
まちの病院を企業が行っている企業城下町の典型
三菱重工記念病院脇にある造船所の門
煉瓦造事務所が見える
入船町の斜面の高部に建つ三菱重工飽の浦社宅
飽の浦町の斜面住宅地(左)


造船所内の事務所である本館(左上)と迎賓館である占勝閣(左下、上)

立神地区
造船所と住宅地
参考資料 リンク
長崎市

参考文献