妻籠 高度成長期に守られた町並み保存発祥の地 

長野県
南木曽町
妻籠




交通

JR中央線
南木曽駅下車
バス


国道19号線




妻籠




2004.05.01
寺下地区の町並み(1980年代)

徒歩時代の街道では、峠越えや河渡りの際に宿泊する人が多かったため、前後の宿場は大いににぎわった。一方、戦後、モータリゼーションの波に乗って道路はどんどん整備されていったが、新道は峠を嫌って大きく迂回したり、最短距離でトンネルや橋を通すため、しばしば旧街道の線形とずれることになった。戦前の鉄道敷設も同じような理由。つまり、徒歩時代に栄えた町が、鉄道や国道からはずれたため急速に寂れる現象がおきた。中山道の妻籠宿も典型的なそのひとつ。戦後、過疎化に悩まされていた一方で町並みが「残っていった」。高度成長期の頃、全国で古い町並みが徐々に失われ始めた頃、妻籠では全国に先駆けて保存運動が起こった。
その後の現象はあまりにも有名なので紹介するまでもないが、妻籠は、大量に古い民家が残る状況の中で保存復原がなされた貴重な町並みのひとつである。しかし、早すぎた整備は町並みブームに火をつけ、自らブームに呑まれていく。電柱が取り払われ朽ちた建物は修復され町並みは綺麗になっていくが、一方で土産物屋がひたすら並び生活感が感じられなくなってしまった。
町並みが保存されてから40年がたった。復原に用いられた新材も時を重ねすっかりなじんでいる。あと10年もすれば、「昭和の高度成長期に保存復原された町並み」として、そのものが歴史的意味を持つであろう。
左:恋野の町並み
江戸方は、「恋野」集落から宿場に入る。西側にだけ家が並ぶ。

下:下町の町並み
左が2004年、右が1980年代。いずれも保存整備の後で殆ど変化は無いが、道路の側溝や看板、標識、植樹など微妙に手が加えられているのがわかる。
中町の町並み
本卯建を上げた町家が何軒か見られる。寺下地区と趣を異にする。

上:脇本陣奥谷歴史資料館
上町の町並み
桝形があったため道路が整備の際に旧道が残った。
寺下の町並み
妻籠宿の代表的なカット。この写真を見せられれば、町並みマニアでなくとも妻籠宿とわかる。
この人気の無いひっそりとした町並みが見たい人は早朝7時前に歩くべし。
寺下の町並み
やっと朝日が差し込み始めた。人気も徐々に増えていく。
尾又の町並み
この先で町並みは途切れ、中山道から伊奈道(飯田道)が分かれる。中山道は大妻籠集落を経て馬篭峠を越え馬篭宿へ至る。
参考資料 リンク
南木曽町

参考文献
『図説 日本の町並み5 中部編』 太田博太郎他 第一法規
『歴史の町並み 関東・中部・北陸編』 保存修景計画研究会 NHKブックス
『歴史遺産 日本の町並み108選を歩く』 吉田桂二 講談社
『日本の美術287 民家と町並 関東・中部』 清水擴 至文堂
『民家巡礼 西日本編』 溝口歌子・小林昌人 相模書房
『日本の町並みV 関東・甲信越・東北・北海道』 西村幸夫監修 平凡社