下栗大野 南アルプス遠山川最奥にある山岳集落

長野県
上村
下栗
大野





交通





下栗大野




1985
2004.04.29
2012.07.28
2019.05.02
遠山郷は、飯田市に属する旧上村・旧南信濃村にあたり、東を3000m級の南アルプス、西を1800m級の伊那山脈、北を1300mの地蔵峠、南を1000mの青崩峠という隔絶性の高い谷である。谷には地質上日本を外帯と内帯とに分ける中央構造線が通り、谷形は壮年期または晩壮年期、山腹は20度から40度の急斜面で氾濫原は極めて少ない。遠山の名の起こりは、周辺のどの国からも遠いという意味で、この辺りの山岳地域を呼ぶ総称だったようだ。鎌倉時代、地頭から起こっているこの地方で実権を握った豪族遠山氏は、近世に入って和田(旧南信濃村)に城を築き統治した。日本三大奇祭のひとつに数えられる遠山郷の「霜月祭」は、不運な死を遂げた遠山様の怨霊を戒めるためともいわれている。江戸時代は幕府が豊富な森林資源に目をつけ天領とし統治した。明治以降は、主に林業で栄えた。農業ついては、水田が極めて少なく畑作が中心である。畑は山畑が多く、20〜40度の斜面を耕作しており、斜面が急な割には石垣を造らないゼリ畑という等高線耕作を行っている。かつては焼畑を行っていた。
旧上村には、秋葉街道沿いに栄えた上町、上村川沿いの程野、中郷、そして炭焼山(1553m)の山腹遠山川に面する斜面上に下栗がある。下栗は奥(遠山川の上流)から大野、小野、屋敷、本村からなり、本村が最も大きな集落である。
本村の最下部から道はさらに上流方向へ続く。その道を進んで最も奥にあるのが大野集落である。下栗集落の起源については、平家の落人伝説、甲斐の国からの移民説など諸説ある。後者では、甲斐の国からやってきた最初に大野に住み付き、次第に本村へ移っていったという。1987年に訪れたときは道路は集落の下で終わっており、各家には歩いて上らなければならなかったが2004年には各家に道路が接道した。

下栗大野の町並み

下栗大野の町並み
前庭にハザが見られる(左上、左下)。背後の地面と屋根との間を埋めるネコビサシ(上)。
 
下栗大野の町並み
手前から小野・屋敷・本村
遠山川上からのドローン空撮 手前から大野・小野・屋敷・本村
参考資料 リンク
飯田市

参考文献