浅間温泉 | 木造旅館や大きな屋敷地が並ぶ松本の奥座敷 | |
長野県 松本市 浅間温泉3 交通 JR篠ノ井線松本駅よりバス 浅間温泉 2009.08.02 |
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浅間温泉は、平安時代、土地の豪族犬飼半佐衛門によって発見され「犬飼の湯」と呼ばれた。浅間温泉と呼ばれるようになったのは中世とされる。江戸時代に入ると、浅間温泉には初代松本藩主石川数正により「御殿湯」がおかれた。同時に、城主や臣下の武士たちの別邸が建ち並び、この頃より浅間温泉は「松本の奥座敷」と呼ばれることになった。現在、この御殿湯の詰所跡が枇杷の湯として残っている。また、浅間温泉は文人に愛され、正岡子規らアララギ派発祥の地としても知られ、与謝野晶子や竹久夢二ら多くの文人墨客が訪れ、この地で多くのすぐれた作品を残している。 浅間温泉は山裾の館斜面の上に温泉街が形成されている。山の手通りは、小柳湯から飯田屋別館までがかつての「浅間の宿」で、木造の旅館や共同浴場が見られる。小柳湯から下る坂道には大きな屋敷地が見られ、奥座敷の面影を残している。 |
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丘下の町並み(上、左上、左下) |
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丘下の中央通りと丘上の山の手通りとの間の街。藩政時代からの大きな屋敷地が見られる。(上、左) 写真右手は小柳湯(左) |
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湯の街通りの町並み(左) |
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浅間の宿跡(左上) 浅間の宿は小柳の湯から飯田屋別館までで、その初見は建武2年(1335年)。浅間の宿は一時期、信濃の政治的中心だったこともあった。 共同の使い場「山の手使い湯」(上) |
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木造三階建ての飯田屋別館(左) 山の手通りからさらに斜面を上ったところの町並み(上) |
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参考資料 | リンク 松本市 浅間温泉 参考文献 |