青柳 石垣の下を用水が流れる北国西街道の宿場町

長野県
本城村
(筑北市)
青柳



交通
JR篠ノ井線坂北駅下車徒歩





青柳




2009.08.02
 北国西街道(善光寺道)は、木曽路の手前の洗馬宿で中山道から分岐し、松本平松本城下を経て山を越え、善光寺平篠ノ井追分で北国街道と合流、善光寺(長野市)へ至る13宿の脇往還である。中でも岡田宿(松本市)から稲荷山宿(長野市)間は、刈谷原峠、立峠、猿ヶ番場峠と3つの峠を越える山間部。松本から四駅、善光寺から五駅と大都市を結ぶ街道のちょうど中間に青柳宿がある。
 青柳宿は、平安時代から続いていた豪族青柳氏が、長田地籍から居館をこの地に移してから後にできた宿である。慶長年間(1596〜1615年)松本藩主小笠原秀政の時代に整備された宿場は、元禄11年(1698年)には東西5丁28間(約600m)で、家数は89軒を数えた。宿継ぎの荷物は、善光寺平から煙草が、松本町方面からは茶荷が多く送られたとされ、当時の交通の要衝であった。
 青柳の屋敷は敷地が狭く、急斜面のため石垣の上に建てられた家が多い。石垣の下には水路が通っているのが他に類を見ない特徴で、生活用水、牛馬の飼育、灌漑用水などに幅広く用いられていた。民家は切妻平入りで傾斜に合わせて屋根を段々に連ねる。
青柳集落は斜面の旧街道沿いにL字形に形成されている。
旧青柳宿の町並み 
旧青柳宿の町並み 
斜面に建つため屋敷地は石垣で築かれている。
その石垣の下を用水が流れているのは他の宿場町では見られない珍しい形態である。
 
旧青柳宿の町並み
旧青柳宿の町並み
旧青柳宿の町並み
旧青柳宿の町並み
一階の軒が深く独立柱で支える形態はこの地方の特色。
参考資料 リンク
筑北村

参考文献