椎葉
上椎葉
尾根上に棚田集落が点在する平家伝説の里

宮崎県
椎葉村
上椎葉
新岩屋戸
夜狩内
水越
下松尾
竹の枝尾



交通





上椎葉




1995.09.09
 椎葉とは、宮崎県北西部、耳川上流域にあたる九州山地を指す地域である。近世、南の米良荘とともに人吉藩相良氏の支配下にあったが、外部との接触がほとんどない典型的な隔絶山村であった。椎葉村は耕作面積が村の1%にも満たず、農林業の兼業農家が多い。1960年(昭和35年)に耳川上流に九州電力が日本最初のアーチ式上椎葉ダムを建設し、日向椎葉湖ができた。村の西側は九州山地の主稜線で、椎葉越という峠を越えると熊本県八代市泉町(旧泉村)五家荘に通じる。
 椎葉村には、隔絶山村の中でも特にユニークな平家伝説が伝えられている。およそ800年前、壇ノ浦の合戦に敗れた平家の武士たちは、追っ手を逃れて各地のふところの深い山奥へ逃れた。古文書「椎葉山由来記」は次のように伝えている。

 道なき道を逃げ、平家の残党がようやくたどりついたのが山深き椎葉だった。しかし、この隠れ里も源氏の総大将頼朝に知れ、那須与一宗高が追討に向かうよう命令される。ところが、病気のため、代わって弟の那須大八郎宗久が追討の命を受けた。椎葉に向かった大八郎は険しい道を越え、やっとのことで隠れ住んでいた落人を発見。だが、かつての栄華もよそに、ひっそりと農耕をやりながら暮らす平家一門の姿を見て、哀れに思い追討を断念し、幕府には討伐を果たした旨を報告した。普通ならここで鎌倉に戻るところだろうが、大八郎は椎葉に屋敷を構え、この地にとどまった。そればかりか、平家の守り神である厳島神社を建てたり、農耕の法を教えるなど彼らを助け、協力し合いながら暮らしたという。そして、平清盛の末裔である鶴富姫との出会い恋に落ちたという。

 伝説としてもまことに信憑性の薄いがユニークな内容だが、椎葉村には平家の末裔といわれる「椎葉姓」と源氏の「那須姓」の2つしかないというのもまた興味深い。

 上椎葉は椎葉村の中心集落があるエリア。上椎葉の「鶴富屋敷」という大きな民家は、300年前の建設といわれ、伝説の鶴富姫と那須大八郎の恋物語の舞台となった場所である。
 周辺の集落といえば、典型的な「天界の村」で、尾根上に集落が点在する。特徴は丁寧に造成された棚田で、山の上に上手に水をまわして水田を構築した先人たちの苦労がしのばれる。
上椎葉の那須家住宅(国重文)
谷底の新しい集落 新岩屋戸
夜狩内集落
日向椎葉湖(人口湖)を見下ろす尾根上の集落。(上)


水越集落(左)
中の八重集落
中の八重集落
下松尾集落
下松尾集落
竹の枝尾集落
竹の枝尾集落
参考資料 リンク
椎葉村

参考文献