桑名 旧東海道 七里の渡しの乗船地のある宿場町

三重県
桑名市
桑名
本町
川口町





交通

JR関西本線桑名駅
近鉄桑名駅
下車徒歩





桑名


桑名寿町





2005.11.08
2017.05.28
慶長6年(1601)正月、江戸と京都を結ぶ東海道が制定され、桑名は宮宿(現名古屋市熱田区)から海を渡る「七里の渡し」の乗船場・宿場町、松平家11万石の城下町として繁栄した。川口町には船着場と伊勢神宮へ通じる伊勢路の基点となる「一の鳥居」が建てられ、伊勢神宮と同様に遷宮制で建替えられている。明治になって東海道制度は廃止となったが、揖斐川上流の大垣との間に客船や荷物船の発着場となっていた。昭和34年(1959)の伊勢湾台風以後、高潮対策工事のため渡船場と道路の間に防波堤が築かれて、旧観は著しく変化し、港としての機能は全く失われた。昭和63年から平成元年(1989)にかけて、付近の整備修景工事が行われ現在に至っている。また、旧市街は町の市街化に飲まれたような場所ではないと思われるのだが、戦災で旧市街の大部分が焼失しているのと伊勢湾台風による被害のダブルパンチもあり、船着場から続く宿場町の面影は殆ど残っていない。旧東海道の重要な宿場であったのに残念である。
しかし、その繁栄振りを知ることの出来る遺構が旧市街からちょっと離れた場所に残っている。桑名の諸戸家は、幕末から明治にかけてに米穀業で財を成す一方田畑、山林を購入経営し、日本一の大地主となった。現在、その屋敷と建物が公開されている。六華苑として公開されている旧諸戸清六邸は、二代目清六が明治44年に着工し大正2年に竣工した建物を整備・修復したもので、わが国の近代建築教育の父であるイギリス人建築家ジョサイヤコンドルの設計による洋館などがある。一方、駅前の寿町には戦災復興期の町が見られる。

七里の渡しから続く旧東海道桑名宿の町並み。戦災や伊勢湾台風によって古い町並みは残っていない。

旧東海道「七里の渡し」船着場があったあたり。伊勢湾台風の時の高潮を教訓に堤防が造られ面影は残っていない。
旧東海道の一本西側の通り。
寺町のアーケード街。すごい賑わいを見せていた。
諸戸家の屋敷(左)

明治期に店舗として建てられた「諸戸店」の建物(下)

六華苑として公開されている庭園に中に残されたJ.コンドル設計の洋館。(上、左)

桑名駅前の一番街商店街
戦後復興により生まれた
 

桑名駅前の銀座街
参考資料 リンク
桑名市

参考文献