鷹峯 鷹ヶ峯三山を仰ぐ旧周山街道の町並み

京都府
京都市
北区
鷹峯光悦町
鷹峯北鷹峯町
鷹峯南鷹峯町
鷹峯土天井町
鷹峯黒門町



交通






鷹峯




2007.05.02
周山街道は京都から丹波へ抜ける街道。一条通の西延長で、御室・仁和寺前から清滝川を北上し、笠峠・栗尾峠を越えて京北町周山へ至る。ところが、江戸時代の周山街道は鷹ヶ峯の長坂口から京見峠を越えて周山へ通じていた。元和元年(1615年)徳川家康からこの地を与えられた本阿弥光悦が一族、工匠等と移り住み芸術郷を築いた場所である。光悦は刀剣鑑定のほか、書、陶芸、絵画、蒔絵等にも優れ、芸術指導者として活躍した。鷹ヶ峯は京の七口の一つ、長坂口より物資が運ばれ、問屋が並ぶ町として発展したが、明治23年に周山街道が付け替えられた後は寂れた。
平安京のセンターロードである朱雀大路と重なる千本通りを真っ直ぐ上る。今出川通りから北はやや西へ傾きながら北上し、仏教大学前から緩やかな一本の坂道になる。そこから鷹峯の町並みがはじまる。豊臣秀吉が京都を城塞都市化しようとして築造した御土居の一部が残っている。さらに上ると、町並みらしくなり左手に創業文化2年(1805年)の醤油醸造の老舗松野醤油などの商家が見られる。源光庵に突き当たって街道は西に折れる。左手の緑は光悦寺で、庭からの鷹ヶ峯三山の眺めは素晴らしい。
創業文化2年(1805年)の老舗 松野醤油(左、上)

千本通り鷹峯の町並み(左下)

豊臣秀吉が天下統一の際、京都を城塞都市化しようとして築造した土居の一部が史跡として残っている。(上、左下)
旧周山街道の町並み
旧周山街道の町並み
遣迎寺の門
旧周山街道の町並み

旧周山街道の町並み
鷹峯小学校の塀(左上)

光悦寺の参道(上)

光悦寺より眺める鷹峯三山(左)

源光庵(左上)

旧周山街道の町並み(左)

旧周山街道(上)
参考資料 リンク
京都市

参考文献