久美浜 明治初期5ヶ国の県庁所在地でもあった町並み

京都府
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久美浜
平安後期以降、久美浜湾周辺は「久美の丘」と呼ばれ、丹後有数の人口を抱える荘園であった。この時代にはじまり、伊賀氏のいた室町時代、さらに松井氏統治の桃山時代の間に「うなぎの寝床」と呼ばれる1区の細長い短冊形地割の町並みが整えられたと考えられる。江戸時代に入り、久美浜は元禄10年(1697年)に天領となり、江戸中期の享保20年(1735年)より明治までの132年間、当地に陣屋(代官所)が置かれた。その管轄は、丹後但馬にまたがり、石高はおよそ7万石であった。現在の久美浜小学校が陣屋跡である。慶応4年(1867年)久美浜県が置かれ、5か国(丹後・但馬・丹波・播磨・美作)を管轄し、総石高は23万石余となった。陣屋跡には、壮麗な県庁舎が建設され、県立小学校や県立病院も設置された。商人や職人の移住者も増え、町は隆盛を極めた。明治4年末、久美浜は豊岡県に転じ、さらに明治9年京都府となった。
地割は、基本的に中世の城下町の区画が今も明確に残っており、独特な歴史的景観を呈している。
久美浜の町並み(仲町)
「久美浜1区街並み環境整備事業」により平成16年度から整備が進められている。和風住宅による修景基準が設けられている。
久美浜の町並み(仲町)
画像右手の大きな屋敷は豪商の稲葉家住宅。江戸期に麹屋や沿岸交易で財をなした豪商。主屋は明治23年築の登録有形文化財。
久美浜の町並み(仲町)
久美浜の町並み(仲町)
久美浜の町並み(十楽)
久美浜の町並み(仲町・東本町)

久美浜の町並み(東本町)
参考資料 リンク
京丹後市


参考文献
「日本の集落第二巻」 高須賀晋・畑亮夫