富岡 天草の行政中心であった陸繋砂州上の城下町

熊本県
苓北町
富岡





交通

本渡よりバス利用





富岡





2005.07.24
富岡は現在天草諸島下島の北西端にある港町であるが、その基盤は特殊な地形を利用して造られた城下町である。ほぼ四方を海に囲まれた城山の上には、慶長6年(1601年)に築城された富岡城があり、戸田氏の私領時代に城は壊されたものの、以降明治まで天領天草の行政中心として三の丸に代官所が置かれていた。寛永141年(1637年)には有名な「島原の乱」の幕府側の拠点となり、一揆側の攻撃目標なったという歴史を持つ。
「島原の乱」の後、城の改修や町の整備がされたといわれている。砂州の先端にある富岡城址の足元に形成された旧城下町はその後港町として発展したが、町割りと僅かに残された商家や旅館の建物が往時の面影を伝えている。また、砂州の部分は砂浜と防風林で挟まれ、旧城下町からずっと家並みが続いている。
旧城下町の城へ向う目抜き通り

正面に見える山の上にあるのが富岡城(左)
突き当りにある工場(右下)
通りに面する町並み(左下)

旧城下町の目抜き通りは途中で鈎型に折れている。その突き当たりにある旅館。(左)
古い民家は少ないが大神宮の近くに集まっている。(左、左下)

大神宮と民家の間の石垣塀
富岡の町並み
富岡城址から旧城下町を見下ろす
富岡城址から背後の岡を望む
参考資料 リンク
苓北町

参考文献
『日本の町並みU 中国四国九州・沖縄』 西村幸夫監修 平凡社