大江 白亜の天主堂をシンボルとした田園の丘

熊本県
天草町
越崎





交通






大江





1988.3.
2005.07.24
天草のキリシタンは、徳川幕府の禁教時代にも「かくれキリシタン」として信仰を続けていたが、明治になり禁制が解かれて布教が再開した。フランス人のガルニエ神父は明治18年に天草下島の大江を訪れ、昭和16年に亡くなるまで布教に努めた。大江天主堂は神父が私費を投じて昭和8年に建てられたものである。禁制時代に隠されていたマリア観音像や経消しの壺・文書(上田家)などが残っている。
大江の町は天草下島の西海岸、天草灘に面する浦内浦北口の漁港であるが、天主堂は町から内陸へ2kmほど入った丘の上にある。集落としては天主堂のある丘の周りに広がる農村で、天主堂とともに美しい集落景観をつくっているため取り上げることにした。丘に栽培されているものはブドウではないが、フランスのブドウ畑が広がる丘に教会が建っているような風景に思えてくる場所である。
大江天主堂

フランス人ガルニエ神父が私費を投じて建てた天主堂(昭和8年)。明治18年に25歳で訪れ40年間布教活動をしたようだが、その後亡くなる前にこの天主堂を建てた。

外観は緑の丘の上に立つ真っ白な教会で、常に村のシンボルである。

内部は椅子式で、天井の装飾と色が印象的な教会である。
周りに広がる田園から天主堂を見る
(1988.3.)
天主堂前から大江の港方向を見る
(1988.3.)
天主堂を中心とした集落の全景
集落内には目立った古民家は少ないが、天主堂に上っていくところに目を引く民家があった。敷地を平らにするために積み上げられた石垣が美しい。
旧街道沿いの民家。旧国道389号線(サンセットライン)はこのあたりで狭く険しかったが、現在はバイパス化して天主堂のある越崎集落を大きく迂回して拡幅されている。おかげで天主堂のある集落景観が壊されなかった。
参考資料 リンク
天草町

参考文献