水俣 公害病で有名になったチッソ(株)の企業城下町

熊本県
水俣市
八幡町
浜町
大黒町
丸島町





交通
肥薩おれんじ鉄道水俣駅下車徒歩





八幡町



浜町



丸島町




2009.12.21
水俣は熊本県南部の八代海に臨む工業都市。水俣の地名は『延喜式(えんぎしき)』にみられる古い宿駅の名で、市域は水俣川の河口の沖積地を除けば、ほぼ全域が九州山地南部に属する洪積世前期火山岩からなる山地である。そのため、明治41年(1908年)日本窒素肥料株式会社のカーバイド工場(現チッソ水俣工場)が立地するまでは、海岸部は漁業、山間部は林業に従事する小さな村だった。工場の発展はは鉄道の敷設を早め、さらに20余社の関連工場を誘致させ、いわゆるチッソの企業城下町として発展していった。しかし、製造過程の副産物であるメチル水銀を含んだ工場廃水を無処理で海へ放流していたため、それが原因でメチル水銀中毒いわゆる水俣病は発生、全国的に公害で有名な町となってしまった。
肥薩おれんじ鉄道(旧鹿児島本線)水俣駅を降りると駅前通りはまっすぐチッソ水俣工場の正門へと向かっている。市街地は工場の北西側に広がっており、企業城下町の定石通りに社宅やグラウンド、購買部運営のスーパー(水光社)が街の中に境無く内在している。八幡町に広大な社宅街があったが、残念ながら一部の集合住宅を除いて更地になってしまっていた。遊里は国道3号線より南側の旭町、大園町辺りにみられた。

肥薩おれんじ鉄道(旧鹿児島本線)水俣駅(上)
駅と正対するチッソ(株)水俣本部水俣製造所正門(左、左下、下)
 
工場の周りの掘割
チッソ(株)水俣本部水俣製造所の遠景(左)

丸島町でみられた平屋建て住宅街
チッソ(株)の社宅ではないかもしれないが、関連会社のものであろうか(下)
八幡町のチッソ(株)戸建社宅街跡地

築地町のチッソ(株)社宅

生協水光社は日本窒素肥料(株)水俣工場従業員を対象に大正9年に設立された。
旭町・大園町の町並み
飲み屋が並ぶ仲之町通り
旭町のスナック
古賀町の民家
栄橋に面する民家
参考資料 リンク
水俣市

参考文献