元町 ルールを共有し新たな価値を生み出した商店街

神奈川県
横浜市
中区
元町





交通
JR根岸線石川町駅、みなとみらい線元町中華街駅下車






元町





2016.12.10


元町ショッピングストリートの歴史は、安政6年(1859年)の横浜開港当時までさかのぼる。横浜村は日本大通りを境に、日本人商業地区と外国人居留地区へ事業計画が決定され、万延元年(1860年)1月に横浜村の居住民90戸が隣接する本村に強制移転させられ、その年2月に「本村」を「横浜元町」に地名変更したのが元町の始まりである。元町の居住民の大部分は当初農漁業に従事していたが、明治7年頃になると、山手居留地に外国人が相当住むようになり、元町通りが山手の住居地と関内の業務地を結ぶ外国人の日常的な通り道になったのに伴って、外国人を対象に商売を始める者が自然発生的に増えていった。
ところが、大正12年(1923年)9月の関東大震災で壊滅的被害を受け、またその頃には各地で開港され、外国人居留地に存在した外国商社の多くが東京に移転したころから、輸入品の流れは各港に分散され、輸入品の一手引き受けの魅力を持った元町のウエイトは急速に低下した。この結果かつての活気は薄れ、山手住宅地に住む一部在日居留外国人客と、東京からわずかに往時の元町のイメージを懐かしむ日本人客の一部とが元町ショッピングストリートの上客として、細々とした営業を続けることになった。その後、昭和20年(1945年)5月の太平洋戦争横浜大空襲で、元町商店街は再び焼土と化したが、終戦と同じに米国進駐軍が大挙して横浜に上陸したころから、奇しくも開港当時の状況が再現されることになった。即ち、長年外国人相手の商売のノウハウを培ってきた元町ショッピングストリートは、駐留軍人とその家族の需要を満たす形で復興の緒についた。
また、元町ショッピングストリートの復興を図り、さらには進駐軍との折衝を行うため昭和21年(1946年)6月に元町ショッピング・ストリート・アソシエーションの略字を使い「元町SS会」の準備会が発足し、昭和22年(1947年)4月に「元町SS会」が設立された。当時この元町SS会は単なる任意団体にすぎなかったが、昭和27年(1952年)1月には協同組合元町SS会と名称変更して登記された。
元町の町並みは、一定のルールによって成立している。昭和30年(1955年)11月に横浜市より壁面線後退の指定を受け、県・市及び横浜銀行の協力を得て、組合員一致団結のもとに、全長両側合計1000メートルの商店街の軒下1.8メートルのセットバックをほぼ10年の歳月をかけて実行し、全国に先駆けたユニークな「歩行者空間」が生み出された。
(「協同組合元町SS会」サイトより)
戦災都市概況図:横浜
JR石川町駅の駅舎
元町SS(ショッピングストリーと)の町並み
石川町駅方向から
元町SSの町並み
1階部分がキャンチピロティにする共通ルールが守られている
元町SSの町並み

元町SSの町並み

元町SSの町並み
元町の一本裏手の通り
また違った趣があっていい

元町の一本裏手の通り
参考資料 リンク
横浜市

参考文献
国立国会図書館デジタルアーカイブ 全国主要都市戦災概況図

元町商店街公式サイト