港北NT 多摩丘陵の新旧が重なるニュータウン 

神奈川県
横浜市
港北区
東山田、大棚、勝田
緑区星谷




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勝田橋


星谷
東京近郊の住宅地、特に南西部はかつての都心部山の手に開発されたサラリーマン住宅地のイメージを受け継ぐ流れがあり、目黒区や世田谷区などの第二の山の手開発、そして多摩川を渡り川崎市や横浜市の東急沿線の第三の山の手開発へとつながる。すなわち山の手→丘陵地開発となって、山林であった多摩丘陵はことごとく戸建や集合住宅用地として開発されていった。
多摩丘陵の昔からの集落は、丘陵の足元の僅かな平地に田畑とともに形成された農村や街道筋の町である。新興住宅地開発がまだ20年から30年程度しか経っていないため、現在は新旧が隣り合って存在しており、いまでもかつての面影を残している場所が見られる。
港北ニュータウンもその一つで、マンション群の「新しい集落」と農村時代の「古い集落」が接しながら存在するという面白い巨大集落となっている。そのような場所は、ニュータウン外周部の中原街道や大山街道沿い、南部の星谷周辺、ニュータウンの中心を流れる早渕川などに見られる。
中原街道沿いに残る関家住宅
(国指定重要文化財)
もと北条氏に仕えた地侍といわれ、江戸時代は名主を勤めた家。表門(江戸時代末期)から主屋(前期)にかけて、屋敷構全体としてかつての多摩丘陵の農村風景を残す貴重な存在。
中原街道勝田橋(早渕川)付近はかつての面影を色濃く残すエリア。
中原街道を南下し、ニュータウンの南端である星谷周辺は、変わらぬ多摩丘陵の農村風景が見られる。
港北ニュータウンの南西部に、ニュータウンの中に広い範囲で残された山林と農地がある。丘の上から眺めるセンター地区と北海道のような農村風景とのミスマッチがニュータウンの特徴。現在、墓地への開発が計画されており、旧住民の反対問題が起こっている。
中原街道沿いの民家、栗原家住宅。周囲にも、栗原姓が集まっている、古くからの農家のようだ。
場所はのちめ不動交差点の近くで、明治の地図にも街道沿いにこの集落が見受けられる。このエリアには古い家がまだ2,3軒ある。背景に見えるニュータウンのマンション群と旧家とのコントラストが面白い。
<J52162さん情報>
参考資料 リンク
横浜市


参考文献