厚木 多摩丘陵の農村が開発された住宅地

神奈川県
厚木市
寿町
中町
厚木町





交通

小田急線本厚木駅下車





厚木





2011.10.23

厚木は、江戸時代の矢倉沢(やぐらさわ)往還(大山街道、厚木街道)の宿場町と、相模川の河岸(かし)集落から発展した。明治中期、東海道本線の全通後は近代交通の幹線から外れていたが、1927年(昭和2)小田急電鉄が開通した。第二次世界大戦後は国道129号、246号、271号(小田原厚木道路)、412号の整備に加え、1969年(昭和44)東名高速道路が全通し、神奈川県中部の交通拠点となった。現在は首都圏業務核都市として物資の集荷、配送(流通)と情報の基地となり、厚木インターチェンジの周辺には、自動車、電気機器、一般機械などの工場が立地し、また、自動車、産業機械、軽電機など大企業の研究所(技術開発センター)や、東京工芸大学や青山学院大学なども進出している。そのほか、市内各地で大規模住宅団地の開発が進み、京浜のベッドタウンの性格をもつ。北部の県営中津工業団地(内陸工業団地)の数十の工場は、市街地に近い諸工場とともに、厚木を内陸工業の有力拠点として発展させている。
厚木の旧市街は、東西の宿場町からの軸と河岸集落としての相模川に沿った軸からなる。厚木航空基地があったからであろうか、厚木の街は戦災にあっていると思われ、戦前の建物は見つけることができなかった。だが逆に、純度の高い戦後の町並みが見られた。相模川沿いの厚木町、東町には看板建築が、旧矢倉沢街道沿いにはいわゆる戦後のRC長屋建築が特徴的だ。そして、二つの通りに挟まれた寿町には、レッドラインあるいはブルーラインを匂わせる遊里の町並みがあった。


小田急線の厚木駅は海老名市にあり、本厚木駅が厚木市にある。ややこしい。(上)
相模川を渡る旧矢倉沢街道。(左)
河岸集落から発展した町並み。戦後の看板建築がきれいに並ぶ。

寿町という地名から遊里ではないかと思ったらズボシであった。

料亭らしき建物もあったので間違いなく旧遊里だったであろう。
旧矢倉沢街道の町並み
いわゆる戦後のRC長屋建築が見事に両側に建っていた。戦災復興で建てられるケースの多い建築形態である。
いつでも増築して連結できるように梁が飛び出していた。
この中町交差点を南へ行くと本厚木駅。駅前は一時期のバブルの面影が残り、やや寂れたまち。
参考資料 リンク
厚木市

参考文献