諏訪之瀬島 トカラ列島3番目 活火山が噴煙を上げる島

鹿児島県
十島村
諏訪之瀬島





交通
鹿児島港よりフェリー






諏訪之瀬島





2018.07.25

十島村の中で2番目に大きい。島の中央に799mの御岳があり、今なお噴煙をあげる活火山の島である。『日本書紀』の白雉5年(654)に「吐火羅国の男二人、女二人、舎衛(きえ)の女一人、風にあいて日向に流れ来たり」とある舎衛は諏訪之瀬島ではないかとの説がある。十島村の中でももっとも激しい活火山を抱くこの島は、過去何回となく大噴火を起こした。文化10年(1813)噴火はひどく、東村と西村の50戸あった人家は潰滅し、200余人の人々は悪石島・中之島へ移住した。中之島では在番が一部の人々を平島や臥蛇島・口之島に移し、ただ1人の死者も出さなかった。『拾島状況録』によると明治28年当時、旧墓地跡に埋没を免れた墓石若干あって、その1つには安政6年(1777)の年代と肥後市郎右衛門の名があったという。おそらく郡司墓であろうが、諏訪之瀬島も他と同じように肥後氏の勢力が強かった。諏訪之瀬島の本格的な開拓は明治期に入ってからで、奄美大島の藤井富伝らが明治9年7月の踏査経て、同16年4月に27人の有志を得て入植したことに始まる。翌17年10月の大噴火被災など幾多の困難を経て同28年には36戸に増えた。島の主神は八幡神で明治の入植後八幡神社が再興された。主峰の御岳のほかに村落近くの根神山などの旧名称が残っており、沖縄・奄美の影響を受けた信仰がしのばれる。現在の住民は奄美大島からの移住者の子孫と、安住の地を求めて移住してきた県外出身者で構成される。県外者は一時ヒッピー(他の住民からはパンヤンとも)といわれたことがあるが、現在はこうした新しい住民が中心となったユニークな島づくりが進められている。北西部の溶岩台地には手つかずのマルバサツキが自生し、春になれば一面赤とピンクのお花畑と化す。(「シマダス」参照)

この島も悪石島に次ぐ山岳島という印象だ。集落への道路は、島北西部にある西之浜漁港から斜面を登り、尾根を越えて東海岸の高い位置を南へやや行くと口之島集落に至る。(左)
寄棟屋根の下見板張り。ここでまず「おや?」と思ったことがある。屋根材だ。小宝島では南西諸島お得意の金属折板屋根だったが、ここ諏訪之瀬島ではほとんど見かけない。そのかわり、シート防水材で屋根を包んでいる。
この家もそうだ。
金属折板屋根の廃屋があった。ルーフィングの前はこの仕様があったのであろう。
海岸のごろた石を使った石垣.。
RC造の建物もある
このお宅は中々良い屋敷構えをしている。主屋と附属屋が下見板張りの板壁+白いシート防水屋根で統一されており綺麗だった。
この集落景観が諏訪之瀬島の代表といえそうだ。
すわのせゲストハウス。コテージ形式の宿で自炊もできる。
榊戸原(さかきどばる)牧区。視界が開けて気持ちのよい
参考資料 リンク
十島村

参考文献
「シマダス 日本の島ガイド」㈶日本離島センター