徳之島
母間
珊瑚の石塀が残る太平洋岸の農漁村集落

鹿児島県
徳之島町
母間
池間




交通






母間





2016.03.21
徳之島は、鹿児島市の南南西468km、東シナ海と太平洋の接線上に浮かぶ島。徳之島の名がはじめて史書に現れるのは文武天皇3年(699年)で、度感(徳之島)がはじめて大和朝廷とつうじたとされている。徳之島には三つの間切(行政区のことで東間切、面縄間切、西目間切)に役場が置かれていた。(「シマダス」より)
島の太平洋側にある母間は、「ぼま」と読む、海岸沿いの集落。阿権に次ぐ石塀の残る集落である。生業はサトウキビ作りと漁業で、御用蔵のあった井之川港を通じて薩摩藩へ黒糖を納めていた。母間集落は海岸線に沿って広く分布しており、漁港の前後の集落の両方に見どころがある。
母間 池間地区の町並み
母間 池間地区の町並み
母間 池間地区の町並み
母間 池間地区の町並み

母間 池間地区の町並み
母間 池間地区の町並み
母間の町並み

母間の町並み
金見の町並み
金見崎ソテツトンネルを抜けた丘の上にある展望台から金見集落を俯瞰する。
参考資料 リンク
徳之島町

参考文献