稲田 明治後期から稲田石の産地として栄えた産業町

茨城県
笠間市
稲田




交通

JR水戸線
稲田駅下車徒歩






稲田




2004.10.12
 明治29年、鍋島彦七郎氏(四国高松出身)が茨城県笠間市西部の山で稲田石(稲田御影)の採掘事業に着手した。稲田石は東京市電の軌道の敷石に使用されることで出荷量が増し、同時に東京市内の近代建築建設の多くに用いられるようになった。稲田の町は、その丁場(石切場)の門前町として明治後期より栄えた。
 稲田石を採掘している石屋の中核は3社であるが、駅前にはその内の2社の旧店舗が残っている。その旧店舗の建物は洋風で要所に稲田石を用いている。また、国道50号線の旧道には稲田の集落が形成されており、入母屋瓦葺妻入の平屋建民家が残っている。特徴的なのが石の町らしく、建物の土台や塀、特に門柱に稲田石が使用されている点である。栃木県の大谷石の場合には建物すべてに用いられている例が多かったが、稲田石の場合加工のしにくさ(硬い)やコスト高の面で民家に全面的に用いられるに至らなかったのであろうか。

駅前に建つ土屋商店の事務所。
壁すべて稲田石で作っている

稲田石の採掘事業に最初に着手した鍋島商店の後を継いだ高田商店旧事務所。

高田商店の次に創業の中野商店。洋風木造建物で玄関ポーチの柱がボーリングのピンのような形をしていて面白い。
駅前を西に行くと旅館ががある。営業しているかは不明(奥の建物)。

国道の旧道沿いの町並み
入母屋瓦葺妻入の商店。大谷石蔵を持つが門柱と塀が稲田石。
国道の旧道沿いの町並み
入母屋瓦葺妻入の商店(左)

西の端付近の町並み(下)

高田商店(現(株)タカタ)の丁場(上)

稲田の町の北側の山に入っていくと石切場(丁場)が連続する。その山並みは「石切山脈」と呼ばれている。(右)
参考資料 リンク
笠間市

参考文献