小浜 丘上の自然の地形を利用してつくられた寺内町

兵庫県
宝塚市
小浜5




交通

JR福知山線宝塚駅、阪急宝塚線宝塚駅よりバス小浜下車





小浜
 中国自動車道宝塚インターのすぐそばは昔からの交通の要衝の地。小浜は、16世紀頃から豪摂寺の寺内町として町がつくられ、京伏見街道、西宮街道、有馬街道の結節点にあたる宿場町として発展した。
 小浜御坊と呼ばれた寺内町は、自然の地形をうまく利用し、北・西・南の三方を大堀川が迂回し、東側には谷の上池・下池及び土塁で囲まれており、城塞的様相を示していた。また、3っつの街道の交差点に当たる小浜宿は、嘉永4年(1851年)の記録によると、戸数202戸、人口800人で、馬借・問屋・茶屋・旅籠などが並ぶ町場であった。中でも造り酒屋が多く、小浜大工の町としても知られていた。
 現在の小浜は、大阪近郊のベットタウンにあたる宝塚の住宅地の中にすっぽり納まっているため、地図を眺めただけではそこが古い町だとはなかなかわからない。しかし、訪れてみると町全体が丘の上にあること、豪攝寺を南にすえた整然とした街路から寺内町であったことが伺える。しかし、純粋な住宅地としてすっかり時間を経ていることで建て替えられた民家も多く、さらに阪神淡路大震災によるダメージもあり残っている民家でも外装が改修されているものが多い。地形や街路構成も含めて感じる町並みである。
小浜寺内町の復元模型(小浜宿資料館)。北の大堀川の谷から南方向を見る。町全体が丘の上に形成された様子がわかる。。真ん中の通りが豪摂寺に軸を取る有馬街道。(上)

町の北端にあった北門跡。自然の外堀である大堀川にかかる国府橋は有馬街道。(右)
豪摂寺に向う有馬街道。ここに古い町並みが見られたのであろうが、阪神淡路大震災により建替や外装改修された家が多い。蔵は多く残っている。
町の中心部(街道の辻)から皇大神社に向う西宮街道
豪摂寺
豪摂寺の土塀

町家として残る数少ない遺構のひとつである井川家。ムクリのある本瓦が美しい切妻平入の商家。
宝塚市内を流れる武庫川。宝塚駅南の蓬莱橋(S字橋)から宝塚歌劇場を見る。
宝塚にはかつて宝塚映画制作所(現・宝塚映像)があり、たくさんの映画が製作されていた。市内には7つの映画館があった。(左)

宝塚歌劇場同様、赤い屋根の宝塚ホテル。1926年創業の名門ホテル。
参考資料 リンク
宝塚市

参考文献
『図説 日本の町並み8 山陽編』 太田博太郎他 第一法規