兵庫 港神戸の原点兵庫津近くの戦災のない町

兵庫県
神戸市
吉田2



交通

市営地下鉄海岸線御崎公園駅下車





兵庫




2005.07.26
2012.08.08
2013.08.25
 
古代の務古水門(むこのみなと)、または大輪田泊(おおわだとまり)にあたり、平清盛が経ヶ島を構築以来、兵庫島または兵庫津と呼ばれるようになった。室町時代には遣明船の発着港として栄え、豊臣秀吉が大阪の外港として直轄支配した。1769年(明和6年)以来天領となり、西廻航路の寄港地、旧西国街道(旧山陽道)の宿駅として整備された。
太平洋戦争で神戸は被災しており、兵庫津の旧宿場エリアはその中に含まれているが、旧宿場町の南側から和田岬にかけての一帯はあまり被災していない。もちろん工場地帯ではあるが町場もある。しかし、阪神大震災では兵庫津から長田地区にかけてが特に甚大な被害を受けたエリアである。
そんな兵庫地域の戦災を受けていない吉田町は、工場地帯の中の運河に面する町。戦前の面影が残っていないかと探索したが、残念ながら震災のダメージは大きく殆ど残ってはいない。大通り沿いは地下鉄も開通し復興後の町並みが形成されているが、ちょっと町の中に入るとまだまだ空地は目立つ。
左図は戦災地図による兵庫津周辺。赤塗りや斜線のところが戦災で焼かれたエリア。
右図は江戸時代の兵庫津の絵図。
旧宿場町は戦災と震災によって現在は全く面影はない。南の海岸沿い(現在は運が沿い)に何か残っていないかと歩き回ったが、明らかに戦前と思われる建物はなかった。
大通り沿いの震災復興後の町並み。通りの下には市営地下鉄海岸線が開通した。(2005年)
吉田2丁目界隈の町並み。古い建物はあるはある。明らかに震災前の建物とは思われるが戦前かどうかは定かではない。(2005年)
(左、下)
今や懐かしさをおぼえる砂利道。質屋があったので、工場町の中にあるちょっとした遊郭であったのか?(2005年)
吉田2丁目の町並み(2005年)
海に近い通りの町並み。(2005年)
海というより運河の景観。工場地帯である。(2005年)
兵庫和田岬は三菱重工・三菱電機の企業城下町でもある。塔が建っているのが三菱重工工場の事務所棟(上)
三菱神戸病院(左)
(2012年)

旧東京倉庫兵庫出張所(
1905年)曾禰達蔵の設計(左)
(2012年撮影)
山陽本線の支線 和田岬駅(上)(2012年)
参考資料 リンク
神戸市

参考文献