相生 風待港から造船の町へと発展した企業城下町

兵庫県
相生市





交通
JR山陽本線相生駅下車徒歩






相生





2009.3.
兵庫県R.さん
相生は、瀬戸内海東部の相生港に臨み、山陽道の那波宿と湾奥の漁村相生から発展した。古くは瀬戸内航路の風待ち港で、1907年(明治40年)播磨船渠が創業、造船を中心に播磨重工業地域の核となった。1959年赤穂線が開業し、耐火煉瓦など窯業の地と結ばれる。1960年播磨造船と石川島重工が合併、地域には関連産業が増加、町は石川島播磨重工業相生造船所の企業城下町として発展した。対岸同士が狭まった港は、湾奥東側に市街地、西側に石川島播磨重工業相生造船所がある。
街にはIHI病院や社宅などがあり、一企業に染まった典型的な企業城下町である。旭四丁目と五丁目の間を割るように走る本町商店街は、大正期に播磨造船所の購買部から発展したという。
(兵庫県 R.さん)
IHI播磨病院(上)

病院のすぐ南隣(旭三丁目)に<播磨造船所>の旧社宅をぱらぱらと見つける事ができる。灰色の瓦屋根の平屋建て、概ね似通った形状の家屋が10件ほどある。
(左)
社宅あれこれ
市街地側から湾の反対側の造船所を見る
参考資料 リンク
相生市

参考文献