白老 アイヌの文化・集落の姿が見られる野外博物館

北海道
白老町
若草町




交通
JR函館本線白老駅下車





長万部





2012.11.23


白老という地名は、アイヌ語「シラウオイ」(アブの多いところ)、または「シララオイ」(潮のあるところ)に由来。太平洋に臨む古くからの要衝の地で、江戸末期には運上屋が置かれ、安政2年(1855年)には仙台藩が駐屯し守備にあたっていた。白老駅北東のポロト湖(アイヌ語で「大きな湖」)があり、500人〜600人のアイヌ民族が居住していた。湖畔にあるアイヌ民族博物館は、アイヌの文化遺産を保存公開するために1965年、白老市街地にあったアイヌ集落をポロト湖畔に移設復元した野外博物館である。5棟のチセ(茅葺の家)のほか、重要無形文化財となっている古式舞踊もみられる。
チセ(茅葺の家)の建て方は地方によって形が定まっており、一つの地方に様々な形の家が建っているようなことはなかった。家の向きや家の外にある食糧庫、熊やフクロウ等を飼う檻(おり)、また便所などの形や位置も決まていた。家の中は基本的には一室だったが、必要に応じて梁からゴザを下げて仕切ったり、また家の北側に小さな部屋を付けたすなどして暮らしていた。家には2〜3カ所の窓が付いていて、その窓が東を向くか川上を向くことによって家の向きが決められていた。
ポロトアイヌコタンは復元集落ではあるが、伝統的なアイヌ民族の集落形態や暮らしを知るうえで重要である。
ポロト湖のポロトは「大きな湖」の意。
コタンは「集落」の意。(左)

湖畔に新しく建設されたチセの復元集落(下)
現在、伝統的なチセの建物は残っていない。写真や絵図から知ることができる。(上)

復元されたチセ
ただし、一般的にはもう少し小さい建物だったようだ。(左)

復元されたチセ
入口の部分が主屋に付加された架構になっている。この部分が仕切られ、風除室の役割を果たしていたと考えられる。

チセの内部
暖は一つの囲炉裏でとられている。囲炉裏の上には保存食用のサケの燻製がぶら下がっていた。この建物は古式舞踊を公開するための施設のため、通常のチセより大きい。(左中)


プ(食糧庫)
高床式になっていてネズミ返しが付いているのは、南国の高床式倉庫に似ている。(左下)
参考資料 リンク
白老町

参考文献