小樽 運河と洋館と石蔵のまち

北海道
小樽市
色内町
手宮町
境町
入船町

小樽運河に沿って倉庫が並ぶ(1995年撮影)

運河に面する倉庫は店舗化され、上の写真でふさがれている扉は取り外され窓になっていた。この倉庫の海側の通りも観光スポットとなっていた。
 

色内の町並み 北海道のウォール街と呼ばれていた(1995年撮影)

木骨石貼の店蔵(1995年撮影)
町のあちこちに大小様々な形態が見られる。
 

堺町通りで唯一変わってなかったのが岩永時計店。というか、8年前にすでに変わっていた。この手法が他の建物のお手本になったものと思われる。
 

1995年 旧名取商店

2003年 大正硝子館
川沿い2件目の建物は取り壊され広場になっていた。
 

1995年

2003年
 

1995年 旧百十三銀行小樽支店

2003年 昔生活道具館
以前は石の上にペンキが塗られていた。きれいに復原された。
 

1995年 旧金子商店

2003年 多喜二
入り口の庇のデザインは思いっきり変えられてしまっている。2階の窓も白く塗られてしまった。
オタルナイという漁港が始まり。明治14年、幌内炭山、札幌、手宮を結ぶ鉄道が開通し、近代港湾都市として発展する。
中心は、勝納河口地区から手宮方向に移り始める。
色内地区に商店、銀行、裁判所、電信郵便局などが集中する。同時に、海岸の埋め立てが進む。新岸壁に倉庫が建設される。
大正12年に運河完成。昭和初期にもっとも栄える。

色内に金融系本支店建築が集中する。明治末期から昭和初期に建設され。北海道のウォール街と呼ばれる。
色内から北の手宮方向、南の境・入船方向に歩いていくと石造や木造の卸商店が目に付く。
小樽駅前の稲穂町から花園町にかけては、小樽駅(中央停車場)ができて商店街として発達した。
一方、色内は金融街として純化していった。
小樽運河沿いや町のあちこちに様々な形態の石造蔵が見られる。
石造建築のほとんどが木骨石造。外壁は厚さ15センチほどの軟石(凝灰岩)を木造の柱梁に鎹で止められている。明治18〜20年と続いた入船町の大火を契機に、石造が増え始める。


小樽の観光地への変化のスピードはすさまじい。私が最初に訪れのは1982年でただの古い町。観光客は積丹半島は行けども小樽にはあまり来なかった。運河もまだ原型のままで汚なく、船が停泊し、運河の反対側の建物も朽ちていた。その頃は町並みの写真を撮っていなかったので、写真が残っていないのが残念である。
2回目は1995年の春。出張に引っ掛けて小樽から寿都を巡った。このときは小樽の町並みを徹底的に歩き撮影した。運河は半分埋めたてられて遊歩道ができ、北一ガラスに観光客が押し寄せていた。しかし、堺町通りや日銀通りはただの通りであった。
そして2003年の訪問。まず、堺町通りの変貌振りに驚かされた。電線は地中化され面する古い建物は殆どが改装されて店舗化している。その対比は左の写真をご覧あれ。小樽運河は、面する倉庫がやはり店舗化され、倉庫の海側の通りに観光客があふれていた。もっともビックリしたのは日銀通り。なんでもない大通りが舗装や照明がやりかえられ、たいそうきれいな通りになっていた。最初、どこかわからなかった。

8年の大いなる変貌。私としてはちょっと寂しい気もするが、町並みに興味の無いうちの家族は大変楽しんでいた。おそらくこれでいいのであろうが、われわれマニアにもうならせる心遣いがほしいと思うのは私だけであろうか。

交通

JR小樽駅下車

国道5号線


参考資料 リンク
小樽マニア大集合



参考文献
『図説 日本の町並み1 北海道・北東北編』 太田博太郎他 第一法規
『歴史の町並み 北海道・東北編』 保存修景計画研究会 NHKブックス
『日本の美術286 民家と町並 東北・北海道』 宮澤智士 至文堂