奥尻島
青苗
未曽有の大津波災害から5年で復興した街

北海道
奥尻町
青苗
松屋




交通
江差港、瀬棚港よりフェリー





奥尻島青苗



奥尻島松江




2016.07.03


江差町から西北61kmの日本海上に位置する。南北にやや長く、海抜584mの神威山を最高峰にゆるい傾斜の丘陵が続いている。北部と南部の海岸線を中心に大小17の集落が点在している。東海岸は比較的単調だが、西海岸は変化に富み、奇岩絶壁が多く、昭和35年桧山道立自然公園に指定されている。気候は対馬暖流の影響で四季を通じて温暖の差は少なく、北海道の中では比較的温暖で自然環境との調和が保たれている。島名はアイヌ語の「イクシュンシリ」(向こうの島)に由来する。
平成5年712日午後1017分に発生したM7.8の北海道南西沖地震は、島の西海岸で遡上高海抜29mに達する大津波に火災も加わって、島内の死者・行方不明者199人を出す未曾有の大災害となった。島をあげて復興に取り組み、平成103月に復興宣言が出された。(「シマダス」より)」
青苗地区は、島の最南端にある岬状の街で、島内最大の集落である。平成5年の大津波では最も被害を受けた。海岸段丘が伸びて岬状になっており、丘の上が縄文時代から人が暮らしていたといわれる集落で、丘の下は漁村としてより海に近い場所に形成された街。ところが、大津波では丘下の街が根こそぎ破壊されてしまった。一方、丘上の集落は被害を受けなかった。
現在の集落は、あの日から23年、復興してから18年が経過している。丘下の集落も嵩上げされ高い防波堤に守られている。その中に、災害を生き抜いた寺や蔵、記念塔が残っており歴史をつないでいる。

平成5年に被災する前の写真(上)
漁業で繁栄した青苗の街が丘の上下に形成されている。

大津波によって被災した時の写真(左)
丘下は時速500kmといわれる速度の津波で壊滅しており、丘上は無傷。
現在の青苗地区
丘下の街の内、岬先端は津波館と公園に整備され、集落は全て嵩上げと防波堤が整備されている。

徳洋記念碑は津波に耐えた(上)
青苗岬灯台と集落(左上)
やや小高い場所にあったため被災を免れた寺(左下)
 
青苗集落
丘の上下に街がある。
青苗望海橋
漁港の津波避難施設
漁港に残る蔵
漁港に残る蔵
かつて崖線には丘上への避難路が無かった。復興で何本もの避難路が整備されたが、写真は上屋付きのもの。積雪時を意図したものであろう。
丘上から下の街を見る
丘上の街
丘上の街
津波の被害を免れたため23年以上前の建物が多い
丘上の街
津波の被害を免れたため23年以上前の建物が多い(左)

松江地区(下)
高い防波堤に守られ集落も嵩上げされている。
参考資料 リンク
奥尻町

参考文献