江差 | ニシンと北前船で栄えた蝦夷地の商都 | |||
北海道 江差町 姥神 中歌 |
中歌町の旧中村家住宅。この建物を永年見たかった。脇の通りを下るとかつての海岸線(現在は国道)。直接建物から荷おろしが可能だった。 海へ傾斜した敷地に段々に建てられた旧中村家。江差の町並みの代表的な場所。 姥神町の旧横山家住宅。ここで食べられるニシン蕎麦は味も雰囲気も絶品である。 いにしえ通り海側の町並み。反対の山側の町並みは再現ならぬ創作の町並みが作られようとしている。 台地の上町の民家。 |
1818年(文政元年)、箱舘の戸数1000に対して江差は2000戸、松前3000戸だったという。江差に集まる鰊船とこれを相手に海岸に並んだ商店、昼夜無く三味線太鼓で賑わう光景は、江戸両国と変わらないといわれていた。特にニシンが豊漁のときは「江差の5月は江戸にもない」とその繁栄ぶりがうたわれている。 松前城下が政治の中心であったとすれば、江差は商都であり経済の中心地だった。 江差の町は台地の上下に形成されている複雑な町である。海岸に面した姥神、中歌町で、海岸線に平行の通り「いにしえ通り」に沿って町並みが残っている。 旧中村家は江戸時代から日本海沿岸の漁家を相手に、海産物の仲買商を営んでいた近江商人の大橋宇兵衛が建てた商家である。家屋は、当時江差と北陸を往復していた北前船で運んできた越前石を積み上げた土台に、総ヒノキ切妻造りの大きな2階建ての母屋を、さらに母屋から浜側まで文庫倉・下の倉・ハネ出しまで通り庭づたいに続くもので、当時の江差における代表的は問屋建築である。 旧横山家は 天明6年(1786年)漁業・商業・回船問屋を営んでいた商家で、建物は約160年前に建てられたもの。資料館の隣が蕎麦やとなっており、おいしいにしんそばが食べられる。 いにしえ通りは海側に古い建物が見られるが、道路拡幅のため再現した(創作した?)町並みが造られようとしている。せっかくの歴史的町並みが観光目的の妙な町並みになろうとしている。観光資源を生かすための整備が資源を殺してしまう場合がある。是非、小樽を真似て失敗した町並みにはしてほしくない。 |
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交通 JR江差線江差駅下車 国道228号線 |
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参考資料 | リンク 江差町のホームページ 観光マップ 参考文献 『図説 日本の町並み1 北海道・北東北編』 太田博太郎他 第一法規 『日本の美術286 民家と町並 東北・北海道』 宮澤智士 至文堂 |