両城 軍港呉で大正期に開発された超急斜面の住宅地

広島県
呉市
両城




交通

JR呉線呉駅下車徒歩





両城



2006.11.26
2012.04.14
呉の港は水深が深く水面も広く周囲を山に囲まれた天然の良港である。1890年(明治23年)に海軍鎮守府が置かれて以来、第二次世界大戦が終わるまで、呉は軍港のある町として急速に発展した。戦後は、旧軍施設を利用した重工業都市へと転換し今日に至っている。
この町の人口増加は急速なもので、昭和18年には人口40万人に達したといわれる。当時、平坦部は軍施設にあてられていたため、新たに移住してきた海軍関係者や職工らの新住民は、外周の急傾斜地に居住地を求めた。市の西部にある両城地区は、海軍士官の人々が多く居住していた。斜度45度近くの急傾斜地を切土盛土して8mにもなる石垣を積み上げて雛壇状に宅地化し、和洋折衷の住宅を並べた。また住宅地を巡る階段や塀には明治期に流行った煉瓦が用いられていて独特な景観が形成されている。両城は、わが国の中でもトップクラスの斜度を誇る密集集落といえる。
また、呉は軍港という立場から当然ながら戦災を受けている。しかし、両城地区とその北側の愛宕地区、ならびに両城地区の山で延焼を逃れたと思われる川原石町は、奇跡的に被災していない。

両城は舌状の丘の上に形成されているため、斜面の町が向かい合う。(左)

斜度45度の200階段。最近映画のロケにも使われ有名になった。(左、上)

200階段には観光客も訪れていた。(上)

200階段から下を見ると足がすくむ。(上)

階段が急すぎて踏面が小さいため、下水のマンホールも飛び出す。(左)
200階段を上りきった両城1丁目の町から川原石町を見下ろす。
200階段の途中から向いの100階段のある両城1丁目の雛壇住宅を見る。
100階段下の自転車置き場。階段を担いで自宅に自転車を持ち上げるようなことはしないため、階段下には駐輪がされている。
全国共通、坂の町特有の現象である。

両城1丁目の雛壇住宅へ上る100階段。各敷地の入口近くに必ず洋間が置かれる。(左)

100階段から200階段のある両城1丁目の丘を間眺める。(上)
七曲がりと呼ばれる丘上へ通じる車道。かつては法面に煉瓦が用いられていたが、近年の土砂崩れでコンクリートに改修中。
ギザギザに登っていく階段。手摺や塀に煉瓦が多用されている。
両城1丁目の階段と路地。(上)

両城1丁目の先端から北側の愛宕地区へ降りる階段。(左)
戦災を受けた市街地とは両城の丘で隔たったために焼けなかった川原石地区の町並み。(下)
参考資料 リンク
呉市

参考文献