糸崎 鉄道基幹駅・工場地帯に隣接する港町の遊里

広島県
三原市
糸崎7




交通

JR山陽本線糸崎駅下車徒歩




糸崎




2008.9.19.
1932年(昭和7年)日本セメント、1943年(昭和18年)三菱重工業の前身にあたる工場が進出し、糸崎港が発展した。石炭の陸揚げ、呉線への接続(呉線の始点)で、蒸気機関車の時代には石炭や水を補給する鉄道の中継地でもあった。
かねてより山陽本線で糸崎を何度も通過しているが、糸崎行の列車があることから操車場のある駅、周りの環境から工場地帯の中の町くらいにしか思っていなかった。ところが、ここには昭和初期からの工場立地を背景に栄えた港町・遊里があった。車窓風景から気付かなかったのは、山陽本線をまたいでいる国道2号線の陸橋により鉄道から視覚になっていたからなのかもしれない。駅を出て国道2号線を東へゆき線路を陸橋で越すと町が見えてくる。糸崎港は小さく周りにコノ字型の松浜という港町に囲まれている。中でも港の東側はかつて遊郭だった。一階に格子戸、二階は開口の大きなガラス建具、曲線の玄関庇、洋風の看板建築などなど、間違いなく遊里と判別できる要素は少なくない。

港に面する町並み。屋根と一階の軒線がきれいにそろっている。

港に面する町並み(左上)

港に面する通りから町の中に入る通りのT字交差点に面する洋風看板建築。雨漏りがあったのであろう、看板状の外壁の上に屋根がかけられている。(上)

両側に妓楼が並ぶ路地(左)

1階に細かい格子戸、2階は大きなガラス窓の建物。(左上)

2階は欄干のあるものないものがある。(上)

2階のガラス窓が大きな建物は瀬戸内の遊郭でよく見かける。(左下)
旧国道2号線沿いの町並み。一時期に道路拡幅がなされたため沿道の建物ファサードが共通している。
港の西側(駅側)の町並み。
港の西側(駅側)の町並み。
参考資料 リンク
三原市

参考文献
「赤線跡を歩く 完結編」木村聡