草津温泉 近代観光とともに発展した温泉集落

群馬県
草津町
草津





交通






草津温泉





2018.06.10


温泉の起源については、僧行基や源頼朝の開湯説があり、中世には戦国武士の湯治場として利用されていた。近世には、真田氏の家臣、湯本一族が温泉経営を行ってきた。近世の諸国温泉一覧によれば、最高位の東の大関に位置し、「万病に吉」と記され、豊富な自然湧水のもと数多くの湯治客に利用されてきた。近世から明治30年頃までは「冬住み」という生活形態により、湯治場は4月上旬から10月上旬まで開かれ、冬季半年間は積雪のため閉鎖された。道路が整備され、馬車が運行されるようになり、明治後期からは定住の温泉集落になった。大正15年には軽井沢と草津を結ぶ草津電気鉄道が開通し、湯治客の7割が利用した。第二次世界大戦後、草津電気鉄道は廃止されたが、暮坂峠経由の中之条草津自動車道路と草津有料道路がそれぞれ昭和37年と同39年に開通し、自動車交通による大衆観光の時代を迎えるようになった。昭和23年には天狗山スキー場に日本初のリフトが架設され、スキー場集落としての性格をもつようになった。昭和43年からは別荘地開発が進められ、保養リゾートの機能ももつようになっている。
温泉集落の中央部には湯畑(ゆばたけ)と呼ばれる大源泉があり、その周辺部に時間湯を行う共同浴場や老舗旅館、土産品店などが集中している。
湯畑(ゆばたけ)に面する建物群
左手前は熱乃湯
湯畑(ゆばたけ)に面する建物群
再建された御座之湯

湯畑(ゆばたけ)
湧き出たお湯は木樋を通り湯滝となって湯壺へ落ちる。
バスターミナルから湯畑へ下る通り

湯滝通りの町並み

共同浴場の「関乃湯」(下)


湯瀧通りの町並み(左上)

しゃくなげ通りと西の河原通りとの間にあるスナック街z(上、左下)
西の河原通りの町並み
山本館(上、左下))と益成旅館(左)

湯畑の東側の町並み

湯畑の東側の町並み(上)

千代乃湯界隈の町並み(上)
参考資料 リンク
草津町

参考文献