勧能 南牧川谷の養蚕・炭焼・こんにゃくで栄えた山村

群馬県
南牧村
勧能





交通





勧能




1999.06.05
2019.04.27

信州姫街道は藤岡から信州に抜ける脇街道である。有名な中山道は、横川の関で女人の取締りが厳しかったため、女性はこの街道を行き来した。信州姫街道と呼ばれる所以である。信州姫街道は下仁田で西牧の関所を通るルートと南牧の関所を通るルートに分かれる。
南牧村は、群馬県南西部の山間に位置する。利根川支流の鏑川に合流する南牧川流域の村で、昭和30年に磐戸・月形・尾沢の3か村が合併して現在の南牧村が誕生した。水田の無い山間集落であり、近世後期から近代にかけて養蚕も行われていたが、やがてこんにゃく芋の栽培が盛んになり戦後も続いた。南牧村の集落を構成する家々はこんにゃく栽培で財を成し、、一軒一軒が比較的大きいのが特徴である。切妻平入の層2階建てが基本的な古民家のスタイルである。南牧村の奥に勧能はある。養蚕で栄えた時代に建てられたバルコニー付の出桁民家が川の流れに棟の向きを合わせて建ち並んでいる。街道分岐点近くの集落のはずれに、石垣を積み上げた立派な屋敷がある。訪ねてみると現在の村長のお宅であった。南牧村は全国でもトップクラスのIT村で、村がプロバイダーをやり、村民はみなパソコンを持っているという。


勧能の町並み(1999年)
勧能の町並み(1999年)
勧能の町並み(1999年)
勧能の町並み(1999年)
勧能の町並み(1999年)

勧能の町並み(1999年)
勧能の町並み(2019年)
20年ぶりに歩いた。失われた家もあるが、あまり変わっていない印象。
勧能の町並み(2019年)
勧能の町並み(2019年)
勧能の町並み(2019年)
勧能の町並み(2019年)

勧能の町並み(2019年)
勧能の町並み(2019年)
参考資料 リンク
南牧村

参考文献
『日本の集落 第1巻』 高須賀晋・畑亮夫 建築資料研究社