久留米 2つの駅を結ぶ都市構造 戦後の産業城下町

福岡県
久留米市
六ツ門町



交通

JR鹿児島本線久留米駅下車
西鉄久留米駅下車

国道3号線



六ツ門町




2004.01.01
2017.06.10
久留米は筑後川の渡河点に発達し、有馬氏21万石の城下町として発展した。近代以降は、周囲の農産物集積地であり、第二次世界大戦前は軍都として活況を呈していた。しかし、旧市街は戦災を受け、新市街が西鉄久留米駅を中心に形成された。現在はゴム工業の町で、ブリジストンタイヤ、日華ゴム、日本ゴムの3社が立地し、産業城下町として福岡県南部の拠点都市となっている。
このような成り立ちの町であるから、すべて2つの駅を結ぶダイヤグラムの都市構造となっている。大通りもアーケードの商店街もすべて東西に展開する。そんな町の中を曲がりながらもやはり東西に流れる池町川がある。池町川まわりの六ツ門町界隈は盛り場。飲食店やバー、飲み屋街、風俗街などがやはり東西に展開する。
また、西鉄久留米駅の北側には寺町が、JR久留米駅の北側にはブリジストン工場がある。今回は池町川にそって歩いたに過ぎない。一見、単純な都市構造に思える久留米だが、しっかり歩いてみると、「近世の城下町」、「戦前の軍都」、「戦後の産業城下町」という三つのレイヤーの重なり合いが見えてくるのかもしれない。・・・2004年
西鉄久留米駅から日吉町辺りまでを再訪した。久留米の町は、第二次世界大戦時の空襲で、中心市街地を焼失している。戦後復興の町並みを見るためである。明治通りの南側には一番街〜二番街のアーケード、北側には文化街商店街のアーケードがあり、いずれにも飲食店の密集エリアが存在しており、戦後昭和の町並みを楽しめる。2004年に歩いた六ツ門町の新世界料飲街は再開発で姿を消していた。一方、昭和通りの南側の通町7丁目付近は戦災を受けておらず、戦前の建物を見ることができる。・・・2017年
池町川と川縁りの町並み 2004
遊郭であったというから歩き回ってみたが、なかなか古い町並みは見られない。戦災にあった場合、川や大通り、寺社の近くに戦火を免れた建物が残っている場合がある。
六ツ門町の新世界料飲店街 2004
このような飲食店街は日本全国に存在している。しかし、再開発等でどんどん姿を消している。もちろん保存するような町ではないが、昭和戦後を象徴する町並みのひとつであることは間違いない。この町も再開発の看板が立っていた。
(たとえば、新宿ゴールデン街立石、など)
六ツ門町の新世界料飲店街 2004
この小さな町の中でも東西がメインストリート。南北の通りはもっと狭く暗い。
六ツ門町の新世界料飲店街 2004
こっちが南北の通り。軒下を抜けるという感じ。看板も無い。
東西に伸びる大アーケード街 2004
早朝だったのでオープンしていない。
東西に伸びる歓楽街 2004
久留米の町は東西に同一機能、南北に層状に機能が変化する。両駅間を結ぶ南側に六ツ門町の花町があったが、北側にも歓楽街があった。
JR線の下をくぐる池町川 2004
かつて遊郭があったという東町・天神町あたり 2017
六ツ門町10の飲食店街 2017
二番街 2017

あけぼの商店街 2017 
新京極通り 2017
新京極通り 2017
文化街商店街 2017

文化街商店街 2017
通町の非戦災地区の町並み 2017

通町の非戦災地区の町並み 2017 
参考資料 リンク
久留米市

参考文献
『赤線跡を歩く2』 木村聡 自由国民社