木屋瀬 旧長崎街道筑前六宿 遠賀川沿い居蔵造の町並み

福岡県
北九州市
木屋瀬1,2,4



交通

筑豊電鉄木屋瀬駅下車

国道200号線
県道73号線




木屋瀬
木屋瀬宿は小倉を起点とする長崎街道第2番目の宿場、筑前六宿のひとつである。筑前六宿とは、黒崎、木屋瀬、飯塚、内野、山家、原田で、慶長年間(1596-1615)から寛永年間(1634-1644)にかけて開通した。各宿場の入口には講口が設けられており、木屋瀬宿では西の講口(飯塚側)に石垣の遺構が残っている。
木屋瀬の町並みは、東から新地町、下町、本町、中町、新町。そこで大きく折れて遠賀川に沿うかたちで改盛町、感田町が形成され、西の講口を出たところが川渡し場であった。中央の折れ曲がっている場所が町の中心で、本陣、脇本陣があった。建物としては、江戸後期からの妻入の居蔵造をベースに、明治40年の大火以後の平入の居蔵造の町家が町並みを形成している。近代以降は石炭産業を背景に栄えた町ある。
東の講口を過ぎると、道幅に対してスケールの大きい妻入の居蔵造民家が向かい合う形で迎えてくれる。
妻入の町並みは平入に対して高さを感じるため、正面に立つと圧倒される。

上記右側の松本家住宅
明治期の大火の教訓からか、隣地側に大きな防火壁を、2階開口部に銅板製の防火戸を設置している。
左側の町家は修理中。
平入の居蔵造の町家は明治40年の大火以降に建てられたいう。2階は壁や軒下の梁や出桁まで漆喰で塗籠めて防火対策を施している。
妻入でも平入でも共通するのは左右対称、2階窓が大きく目を引くデザインが施されていることが特徴。
船庄屋跡(梅本家)
江戸時代、木屋瀬には年貢米の集積場である本場(米場)が置かれ、その輸送は権利を持った24隻の川ひらた(川舟)に限られていた。この24隻の管理をしていたのが船庄屋である。
梅本家は江戸時代は醸造業、明治時代は醤油醸造業を営んでいた。建築は江戸時代末期の切妻平入。

改盛町の町並み
2階窓周りの意匠に注目。
感田町・改盛町の町並み
妻入の居蔵造り町家がリズミカルな町並み景観を作っている。
改盛町の旧高崎家住宅(公開)
参考資料 リンク
北九州市

参考文献
『図説 日本の町並み12 南九州・沖縄編』 太田博太郎他 第一法規
『日本の町並みU 中国・四国・九州沖縄』 西村幸夫監修 平凡社