玄海島 震災復興を見事成し遂げた玄界灘の島

福岡県
糸島市
志摩姫島





交通
博多港より旅客船





玄海島





2019.11.04
玄界島 博多から18kmの博多湾口にある円錐形の島。南に漁港があり、その背後に住宅が密集している。古くは「久島(きゅうしま)」「月海島(げっかいじま)」とよばれていた。永禄年間(1558-70)に海賊の襲来をうけ、一時無人島になったこともあるが、慶長年間(1596-1615)に再定住がなされたという。江戸時代には遠見番所や流人小屋が置かれていた。現在はブリ・イサキ・タイなどの一本釣を中心とした漁業が基幹産業になっている。(「シマダス」参照) 玄界島は急な傾斜地に石垣が積まれた密集系漁村集落であったが、2005年に発生した福岡県西方沖地震の震源地に近く、壊滅的な被害を受けた。その後、島民や行政の努力により短期間で復興し、新たな玄界島集落が誕生した。集落というより、福岡市郊外の新興住宅地のような姿。しかし、大海原を背景にしており、結果的に他に類を見ない独特な景観が見られる。
震災復興整備で集落のほぼ全域に手が入れられた。擁壁や階段はすべて鉄筋コンクリート造となった。

かつての玄海島の町並み
急斜面ゆえに石垣と階段の集落。

玄海島の町並み
復興後の現在の様子。復興計画は震災後すぐに着手され、わずか3年で完了した。
玄海島の町並み
小鷹神社脇の階段。斜面の低いところは傾斜がきついためか、戸建ての住宅はなく集合住宅になっている。この中にあるエレベーターが上下をつなげる同線の一つとなっている。
小鷹神社
社殿も復興された建物。当時の壊れた石鳥居が残されている。
玄海島の町並み
上部の戸建て住宅の町。ここだけ見ると福岡市郊外の新興住宅地のようだ。
玄海島の町並み
こんな眺めの良い新興住宅地はないであろう。
玄海島の町並み
一斉に復興したのであれば似通った建物が並びそうだが、反してそれぞれ個別にデザインが異なっている。

玄海島の町並み
庭には漁の安全祈願をするための社があった。

唯一残されている震災の遺構であるモノレール。曲がったレールが地震の凄さを今に伝えている。
参考資料 リンク
福岡市

参考文献
「シマダス」日本離島センター