芦屋 藩政時代の積出港として栄えた遠賀川河口の港町

福岡県
芦屋町
西浜町






交通

JR鹿児島本線折尾駅下車バス





芦屋




2005.06.25
芦屋は遠賀川河口に形成された港町で、藩政時代は幕府への米・石炭・塩の積出港として栄え、大阪・江戸、遠くは松前(函館付近)まで旅行き商人たちが活躍の足を伸ばし、回船問屋も栄え「芦屋千軒・関千軒」とたたえられる賑わいをみせていた。しかし、繁栄を極めた都市ほど保守的になるもので、明治中期、芦屋も他聞にもれず鉄道建設に反対したため、石炭積出港としての港の繁栄は若松港に奪われた。
芦屋の町は何処に古い町並みが見られるのだろうかと巡ってみたら、町の先端の遠賀川河岸付近に残っていた。平入と妻入の漆喰を塗り籠めた町家が2棟並んでいるところが見所スポットであるが、残念ながら空地が多く町並みと呼べるほど連なってはいない。この家はかつて廻船業を営んでいたようで、川に面した敷地に大きな民家が建ち並んでいたようだ。
川の対岸の山鹿も芦屋同様、港町だったようである。芦屋には第二次世界大戦の時からある航空自衛隊基地があるが、かつては米軍基地もあって賑わったというが現在はとても静かな町に映った。
「芦屋千軒」と称されるほど栄えた芦屋津の隆盛振りを伝える旧廻船問屋の建物。
遠賀川河岸には回線問屋の建物が軒を連ねていたと思われるが、現在は空地が多い。
1階の全面格子がとても美しい町家だった。

現在の芦屋橋より河口側に「垂間野橋の跡」なる記念碑があった。ここで対岸の山鹿に渡れたのであろう。

遠賀川に沿ったかつてのメインストリートの町並み。(左上、左)

メインストリートから丘の上の町に上っていく路地。(上)
遠賀川河岸側には他にも大きな民家が残っていた。外壁にダクトがまわされた工場として使用されている町家。(上)
川沿いから一本内側に入った通りにも町並みはある。(左上、左)
芦屋から遠賀川河口対岸の山鹿集落を臨む。
参考資料 リンク
芦屋町

参考文献