鵜島 村上水軍の根拠地の一つだった小さな島

愛媛県
今治市
宮窪町
宮窪
鵜島






交通
伯方島尾浦港・大島宮窪港よりフェリー




鵜島





2019.12.29

      
越智大島の北東海上1.5kmに位置する。室町時代に足利義満がひとつがいの鵜を下賜し、海に放すと鵜が繁殖したことから島名がつけられたという。島内からは水軍の兵糧奉行所、船奉行所、北浜代官所、造船所などの遺構が見つかっており、能島とともに村上水軍にとって重要な役割を果たしていたと考えられている。かつては佐島村(現上島町)の支配下に置かれていたが、近世期には織田信長の末孫と伝えられる織田信善が、「獅子狩」の功をもって今治藩主の藤堂高吉よりこの島を拝領し、代々島の組織役を務めていた。天保14年(1843)には人口332人を数えた。現在は柑橘農業が主体の島だが、大島・伯方島への島外通勤者もいる。島の人たちは伝馬船、小早船といった和船の扱いに長けており、水軍レースでは島の出身者で構成されるチームが常に上位を争っている。近年、地元の有志がカフェを開業するなど、活気が生まれている。(「シマダス」参照)
鵜島は伯方島と大島との間にある小さな島。伯方島尾浦港と大島宮窪港の両方から渡ることができる。
鵜島の町並み
波止場の待合所でもある鵜島カフェ。
鵜島の町並み
採石の島である大島に近いため、港の防波堤も採石し出荷しなかった端物が使われている。
鵜島の町並み
集落を構成する民家は、なかなか立派なものが多く、古い町並みとして価値が高い。
鵜島の町並み
鵜島の町並み
本瓦葺きの見事な屋根。
鵜島の町並み
鵜島の町並み
鵜島の町並み
鵜島の町並み
鵜島の町並み
鵜島の町並み

鵜島の町並み
「海あひる」(上)
 
参考資料 リンク
今治市

参考文献
「シマダス」日本離島センター