釣島 限られた平地に屋敷が密集する農漁村集落

愛媛県
松山市
泊町
釣島





交通
松山市高浜港からフェリー




釣島





2020.02.01

      
興居島の西端、戸ノ浦鼻から小瀬戸を挟んで南西約1.1kmにある小島。興居島とその北約4kmにある睦月島の間の海峡は釣島水道と呼ばれ、斎灘と伊予灘を結ぶ交通の要衝であることから、水道西側出口に位置するこの島に明治6年愛媛県で最初の灯台が建設されている。北端の砂嘴に集落がある。平坦地は少なく、海岸からすぐに傾斜地となっているが、果樹栽培の耕地に恵まれている。島の産業は伊予柑などの柑橘栽培とタコ壺など農漁業がすべて。とくに伊予柑、タコは極めて良質で、市場では高値で取引されている。元治元年(1864)、興居島の由良から7人が移住して以来、限られた土地で住民は独自の豊かな地域社会を形成し、生活を維持している。(「シマダス」参照)
釣島は、忽那諸島の中で最も小さな島であるにも関わらず、集落を構成している家々はしっかりとした造りである。平坦地としては限られた土地に家々が密集する形態ながら、ひとつひとつの屋敷は塀や建物できちんと区画されており庭を持つ家が多い。農漁業によって栄え経済的に潤った印象を受ける。背後に山なる山の果樹園もさることながら中腹にたたずむ石造の灯台も見所である。
釣島の町並み
波止場近くの町並み。農産物を出荷する施設がある。
釣島の町並み
海岸沿いの防波堤上の通りには鉄筋コンクリート造の小屋が並んでいる。集落内が狭い通りしかないので、農機具等がこの中におさめられているのであろう。
釣島の町並み
釣島の町並み
釣島の町並み
釣島の町並み
密集度の高い集落。

釣島の町並み
細街路が迷路のように巡っていて、しかしきちんと門塀を備えた屋敷が並んでいる。

釣島の町並み
通りには給水管が空中を横切っている。
釣島の町並み
釣島灯台から

釣島灯台
海上交通の重要な目印である釣島灯台。明治6年に英国人技師リチャード・ブラントンによって設計された。
参考資料 リンク
松山市

参考文献
「シマダス」日本離島センター