千町 千町といわれるまで耕した山上の巨大棚田集落

愛媛県
西条市
千町




交通






千町






2007.04.28
瀬戸内海に面する西条付近は四国山地が海岸線に迫っている。讃岐街道から国道194号線(旧土佐街道)へ入るといきなり深い谷間の山村となり、谷川東岸の西向き斜面に巨大な棚田が出現する。天正13年(1585年)天正の陣の際、土佐の伊藤近江守祐晴が援軍60人を引き連れて高峠城(現西条市にやってきた。その後、彼らは土佐に帰らず、この千町に定住したという。「千町といわれるまで耕して 谷の向こうに人家みゆ」という歌が地名の由来として残っている。彼らが何故土佐に帰らず千町にとどまったのだろうか。
棚田は九州四国を中心に日本全国に見られるが、中でも千町の棚田は規模において最大級と思われる。土地が綺麗な一方向の緩斜面であり棚田を造るのに最適であったと思われるが、それにしてもこれだけの石垣を人力で積み上げて造られたことに単純に圧倒される。人家は全てが一箇所に固まるようなことはなく、小単位で集合し、棚田の中に埋まるように存在する。
「千町といわれるまで耕して 谷の向こうに人家みゆ」と詠われた「谷の向こうの人家」から遠望した千町。手前の小山に隠れたところも含めて巨大な棚田集落が形成されている。(上)

中腹の集落と棚田(左)
棚田を下から見上げる。
土居地区
土居地区
人家が棚田の中に埋まるように建っている。
石垣を見上げる
岡地区付近から見上げる(上)

中谷地区(左)
中谷地区
参考資料 リンク
西条市

参考文献