佐島 生名島 |
島々が互いに近接し向かい合う島 | |
愛媛県 上島町 弓削佐島 生名 交通 因島土生港よりフェリー 佐島 生名島 2019.12.30 |
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佐島 弓削島の南西、幅500mほどの弓削瀬戸をへだてて位置する島。島内からは古墳時代後期と奈良時代の製塩土器、さらに箱式石棺が出土しており、古墳群も確認されている。中世には石清水八幡領で、島全体が荘園だったと考えられている。弓削島と同じく製塩の島として知られ、江戸時代には水田も拓かれた。優れた船大工を多く輩出し、明治以降は北米などへの移民を送り出した島でもある。無医島で、中学・高校等への通学も船に頼るなど離島としての諸問題を抱えていたが、平成8年に住民の長年の悲願であった弓削大橋(弓削島佐島間)が完成したことにより、これらの問題は解消した。さらに同23年には生名橋が佐島との間に完成し、生名島とも接続している。島の西側では、春はみかん、浜大根の花、秋から冬にかけては野地菊の花により、白一色となる。これらの時期は一見の価値があり。また、佐島は摘み菜(たべられる野草)も宝庫でもある。近年では移住者による起業や新たな取り組みが相次いでおり、島の活性化に寄与している。また、サイクリストの来島も増加傾向で、さらなる交流人口拡大が期待されている。(「シマダス」参照) 生名島 広島県・因島のすぐ西に位置し、愛媛県の島北端にあたる。立石山を中心に先土器時代から古墳時代にかけての遺物が出土している。古代朝鮮語で「いきな」は「善き土地」だという。室町時代には因島村上水軍に支配され、高松城・亀島城あどの城砦が築かれた。明治末期に対岸の因島に鉄工所が設立され、日立造船因島工場に発展するにつれ造船所に勤務する人たちが増えていった。昭和61年12月、日立造船因島工場が新造船部門から事実上撤退して、就業者の約8割が同工場の関連企業に勤めていた生名島は、もっとも影響を受けた島のひとつとなった。その後独自の島おこしの取り組みが始まり、村でも同63年から「スポーツ合宿村」構想をつくり、複合産業型・交流型の村づくりビジョンを打ち出した。平成16年、弓削町・生名村・岩城村・魚島村の4町村が合併し上島町となった。さらに同23年2月、生名島と佐島をつなぐ生名橋が開通。現在、弓削島・佐島・生名島の3島が結ばれているが、岩城島との間でも橋長735mの架橋事業(令和3年度完成予定)がすすんでいる。(「シマダス」参照) |
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佐島の町並み | ||
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生名島の町並み | ||
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参考資料 | リンク 上島町 参考文献 「シマダス」日本離島センター |