大島
宮窪
戦国は海賊 近世から石材業で栄えた島里

愛媛県
今治市
宮窪町
宮窪






交通




大島宮窪





2019.12.28

      
今治市の北東海上約6km、瀬戸内海中央部にある島。越智諸島で最大の平坦地を有しており、越智大島とも呼ばれる。中世には京都醍醐寺の荘園となり、海上交通の要衝であったことから海賊衆が活躍するようになった。その後、豊臣秀吉が天正16年(1588)に出した海賊停止令により海賊時代は終焉を迎え、近世に入ると採石技術の向上によって石材業が盛んになり、良質な大島石の産地として全国にしられるようになった。平成11年に瀬戸内しまなみ海道が開通し、北で宮窪地区と伯方島が、南で吉海地区が馬島を経て四国と繋がっている。近年では島を訪れるサイクリストも増加している。村上海賊関係遺跡群や八幡山など日本遺産「‘日本最大の海賊‘の本拠地:芸予諸島―‘Murakami KAIZOKU‘の記憶―」の構成文化財を数多く有する。(「シマダス」参照)
越智大島宮窪の町並み
越智大島宮窪の町並み
越智大島宮窪の町並み
越智大島宮窪の町並み
越智大島宮窪の町並み

越智大島宮窪の町並み
越智大島宮窪の町並み

越智大島宮窪の町並み

越智大島宮窪の町並み
越智大島宮窪の町並み
越智大島宮窪の町並み
参考資料 リンク
今治市

参考文献
「シマダス」日本離島センター