浜金谷 房総半島鋸山の麓の房州石の町並み

千葉県
富津市
金谷




交通

JR内房線浜金谷駅下車





浜金谷



2007.07.29
かつて内房の鋸山から房州石という軟石が産出されていた。「日本石材史」(日本石材振興会、昭和31年)によれば、房州石について「徳川時代から江戸市民に愛用されて、街に見える塀はその大部分が房州石といってもよいほどであった。(中略)伊豆半島から採取される伊豆石と共に、通称「房州石」と呼ばれて、江戸の大衆には馴染み深いものであったが、いつの頃から江戸に入ったかは詳らかではない。しかし、明治5年に日本最初の鉄道が東京の新橋から横浜まで敷かれた時、その新橋駅の建物は房州石であった。これぞ日本最初の石材建築なり」とされている。また、近世初期から産出されたようで、石灯籠や七輪などの産物として、また耐火性に優れることから、幕末の砲台の築造や民家のかまどなどに利用されたようだ。宇都宮近郊の大谷石が見出されるまで、伊豆石と房州石は江戸東京の石としてポピュラーな石材であった。
鋸山の石は、採掘した後、麓の金谷などの町に下ろされ港から東京湾を渡って東京に運ばれた。金谷は房州石が出荷されるもっとも大きな町であった。そうなると当然、金谷の町には石が多く使われているはずである。金谷は小さな町であるが、塀や蔵に房州石が盛んに使われており、その風合いは伊豆のまだら石に近い。

門塀、倉に見られる浜金谷の房州石。
浜金谷の町並み
茅葺民家が残っていた(トタンカバー)
房州石の倉
房州石の倉
浜金谷の町並みと鋸山
この建物もともとあった建物か移築かは不明。房州石の門塀で囲まれた敷地はでかい。
集落一でっかい敷地。当然門塀は房州石。
鋸山の南西山麓の保田も房州石を出荷した町である。町中で見かけた房州石の倉。
参考資料 リンク
富津市

参考文献